主人公、タイトル…「え?! 豚ですか?」
「え?! 豚ですか?」
JALの担当者は鈴木敏夫氏との打ち合わせではじめて『紅の豚』のタイトルを聞いたとき、そう言って絶句した。その後もタイトルに「豚」があることがJALでは問題となり、役員会では「JALが初めて製作する映画が豚では困る」との意見が出たという。
果たして鈴木氏はJAL側の宣伝部長を説得。なんとかタイトルは『紅の豚』で行くことがJAL側でも了承され、新聞紙上では旅客機の窓の向こうをポルコの飛行艇が飛んでいるビジュアルで全面広告が打たれた。(とはいっても『紅の豚』というタイトルは下部に小さく描かれた)
しかしその時点ではまだJAL側は『紅の豚』というタイトルを社長に報告しておらず、完成披露試写会当日にJALの利光社長(当時)が見に来るまで社員は誰もタイトルを社長に言えなかったというから、当時の現場は生きた心地はしなかっただろう。
1992年7月18日に公開された『紅の豚』は、公開時に全国17都市をめぐるキャンペーンを実施。宮崎監督も参加し、46億円の興行収入で日本映画・外国映画の総合で1位を獲得した。
この後、『もののけ姫』でも監督自身は宣伝活動に参加し、“宮崎駿”というブランドは同作の大ヒットとともに名実ともに確立されていく。
「どうして豚なんですか」その答えは…
「どうして豚なんですか」
と、宮崎監督に聞いたのは当のプロデューサーの鈴木敏夫氏であった。
本作の製作過程では「豚」であることが様々なところで引っかかっている。一方で、宮崎監督自身は豚であることになんの疑問も持っていなかった。そもそも原作である『飛行艇時代』(大日本絵画)でも、主人公が豚であることに一切説明はない。
同書は雑誌『モデルグラフィックス』で不定期に連載していた宮崎監督の趣味全開の『雑想ノート』内で連載されたもので、自身の分身でもある豚が戦車や飛行機を解説するエッセイマンガに近い作品であった。つまり原作では登場キャラクターが豚であることを説明する必要はなかったのである。
映画でも島めぐりの観光艇に遭遇したポルコを見つけた乗客が「豚さんよ~」「カッコいい~」と口にするように、劇中の人々はポルコが豚であることに驚きも疑問も持っていなかった。ジーナもフィオも、空賊たちも、新聞記者さえもポルコが豚であることを気にしてはいない。
しかし鈴木氏から「どうして豚なんですか?」と聞かれた宮崎監督は「どうして豚なんでしょうね」とスタッフに質問を投げかけ、本作の作画監督である賀川愛(めぐみ)氏から「自分で魔法をかけたんじゃないですか」と“答え”をもらい、映画には“豚である理由”が付けくわえられた。
当然「なんで魔法をかけたんですか?」という質問が鈴木氏から出るが、“その理由を知っている”キャラクターとして、本来は原作に登場しないホテル・アドリアーノのジーナが重要な役として作られていったという。