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学校にバレないように朝5時に出発

 それでも、小嶺監督はやめなかった。

「学校にバレないように朝5時に出発し、戻りは夜10時過ぎにするなど工夫した。ルール違反と承知していても、ときに人間はそれを破ってでもしなければいけないことがある。結果を出せば、周囲も理解してくれる。『出る杭は打たれる。だったら打たれないところまで伸びろ』。教え子にも、そう言い続けてきた」

全国高校選手権を6回制した ©文藝春秋

 バスにエアコンはなく、夏場は半パンに上半身裸で運転し、その姿はまるで“裸の大将”だった。ただ、そこまで勝負にこだわる監督の姿勢に選手はついていった。1987年度の国見初優勝時のメンバーで、Jリーグで長くプレーした永井秀樹(50)はこう振り返る。

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「遠征先では、バスを降りてアップもなしにすぐに試合。多いときは朝食前に1試合やって、午前と午後に2試合ずつで計5試合やった後、内容が悪いと『走れ』って。普通じゃない(笑)。でも、プロになって口だけは立派な人はいっぱいいたけど、小嶺先生ほど勝負に情熱を注いでいる指導者を見たことはない」

 傍からは常軌を逸していると見えたかもしれない。だが、それこそが小嶺流だったのだ。合掌。