昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

genre : ニュース, 社会

「Bがネギを切っていた包丁をこちらに向けて、笑顔で『マジで死んでほしいやんか。刺してもいいかな?』と言うんです。まだ死にたくないですと私が必死に言うと、『お前みたいな人間生きてる価値ないから死んでもよくない? むしろ死んでも悲しむやつおらんし。親もお前が死んだほうが喜ぶと思うし、俺に殺されることを感謝せなあかんで? お前みたいな娘がいるご両親が可哀想やわ』と……。この人に本当に刺されて殺されるんだと思いました。親のことを侮辱されたのも辛かったです」

 その後もA子さんは暴力と脅迫に耐えながら作業を続け、這いつくばってトイレで吐くということを何度も繰り返していた。

脚にも何箇所もアザが

「木の箱に入れて、釘を打って出られないようにするから」

 そして、20時頃から暴力はある程度収まったものの“死”を匂わせるような発言が増え、逃げることができないような雰囲気を作っていったという。

「『今日営業終わったらドライブ行きたいから海と山行くけどどっちがいい?』と言われて私が困惑していると、『山だったらボコボコにした後に木の箱に入れて、釘を打って出られないようにするから終わりやな』と笑いながら言われました。そこから『ドライブ楽しみやな~』としきりに囁かれました。

 さらに『俺、大阪の怖~い兄ちゃんと繋がりがあるからお前が警察に行ったり逃げようとしてもすぐわかるし、お前の家族とか調べたらすぐわかるからな』とも言われました」

背中や腰にもアザが見える

 結局、断続的に暴行を受けながらA子さんが作業を終えたのは閉店から5時間以上が経過した21時半だった。店を出て帰路につこうとするA子さんに、B氏は「お前明日来るんか?」と聞いたという。

「『来ないならお前と同じ年くらいの他の女の子を呼ぶで?』とBに言われ、私以外の被害者が出る可能性が頭をよぎりました。Bの異常性は痛感したし、殺されてしまうかもと思ったけど、それを他の人に押し付けることも怖くなって『行きます』と答えてしまいました。するとBは『明日来るなら家に泊まっていけ』と言ってきました。長時間罵倒され殴られたことで、私は拒否をすればまた殴られるという暗示にかかっていました。その状況で私には断る選択肢がありませんでした。Bが先に家に向かっている隙に友人に電話して『もしかしたら殺されるかもしれない。何かあったら親に伝えて』と話しました。家では殴られることはありませんでしたが、恐怖で一睡もできず出勤しました」

z