「なんとなく4、5人くらいは欲しいよね」と話したけれど…
――そもそもお2人の出会いはどんなものだったのでしょうか。
千惠子 2人とも東京の美容学校に通っていたんですけど、そこの同級生です。クラスが一緒だったので、よく話してはいましたけど、恋愛関係にはならなくて。
数年後に、たまたまコンクールで再会してお付き合いし、結婚しました。25歳で1人目を妊娠して、あれよあれよと9人ですよ。
――もともと大家族への憧れがあったとか。
千惠子 いえ、全くです。むしろ結婚するとも思っていなかった。まして子供なんて……という意識でしたから。結婚して一人前とか、結婚=幸せとか言うけど、全くそんな考えはありませんでしたね。
結婚する時に、なんとなく4、5人くらいは欲しいよねという話はしました。それが9人ですからね。長女、長男、次女、次男、三男、四男、五男、六男、七男……男女の数を同じにしようと思っていたら男ばかり生まれて、4人目以降は全部男ですよ。
8人目を妊娠する少し前に、夫と「もうそろそろ(子どもは)いいよね」って話したんです。そんな中、8人目の妊娠が発覚して、病院でエコー写真を見せてもらったら、子供が手を振っているように見えて(笑)。家に帰って夫に「赤ちゃんが手を振ってたよ」って話したら「はあ!」って声が裏返っていました。でも、一度も「堕ろせ」と言われたことはなく、喜んでくれていましたよ。
ただ、長男が小さい頃は、夫に全然似ていなかったもんだから「俺の子じゃないだろ」って言われて、腹立ちましたよ。「あなた以外に誰がいるのよ。あなたの子じゃないなら私の子でもありません」って。数年後に自分に似てきたら「俺の子だな」って。笑っちゃうでしょ。平気でそういうこと言うんだから。
末っ子は41歳で出産
――末っ子・隼司くんの出産時に、千恵子さんは41歳ですよね。不安などはありましたか。
千惠子 それが一切なかったです。むしろ出産のたびに、なんて私は幸せなんだろうと実感しました。
私、自分の父親の顔を一切知らないんです。母は物心ついた頃には入院していたので、親戚の家に預けられて育ちました。一人っ子でしたけど、周りの環境に恵まれて育ったので、不満などは一切ありませんでした。
ただ私、1年近く無戸籍だったんです。生まれてから数ヶ月間、出生届を出されていなかった。だからたまに思うんです。母が私を産むとき、どういう気持ちだったんだろうって。誰からも祝福されずに、1人で産んだ母の気持ちを想像すると、いろんな感情が込み上げてきますよね。私の子どもたちは、病院でみんなから「おめでとう」と言われながら生まれてきて、なんて幸せなんだろうって思います。だから不安なんてなかったです。