6代目山口組“高山のカシラ”出所が与えた影響
自動小銃乱射による事件が起きる前月の2019年10月には、神戸市の山健組本部近くで、同組系の組員2人が6代目山口組弘道会系幹部によって同時に射殺される事件も発生。6代目山口組の攻勢が続いていた。
2019年秋にこうした重大事件が続発した理由について、多くの警察庁幹部は、「カシラの高山の出所だ」と強調していた。高山とは、6代目山口組若頭・高山清司のことだ。若頭とは主に関西地方の暴力団組織のナンバー2の地位の呼称で、若い衆の筆頭という意味だ。次期組長候補でもある。
高山は2010年11月、恐喝容疑で京都府警に逮捕され、京都地裁で2013年3月、懲役6年の実刑判決が言い渡されていた。2審の大阪高裁は2014年2月、高山の控訴を棄却。高山は最高裁に上告していたがとり下げ、実刑判決が確定。府中刑務所に収監されていた。武闘派として知られるだけでなく、経済ヤクザとして豊富な資金力があることでも名が通っていた。その高山が2019年10月に出所し組織に復帰したのだ。
神戸から離脱した山健組が6代目に復帰
当時、警察庁幹部は、「高山の出所に合わせて、6代目山口組の傘下組織が活発に動き出し、神戸山口組側への攻勢を強めた」と指摘していた。6代目山口組の攻勢だけでなく、神戸山口組側からも傘下組織の離脱や解散が相次いだ。当時、神戸山口組の重鎮とされた太田興業の太田守正が引退するなど、高山の出所はそれだけ業界内で大きなニュースとして伝わったのだ。
こうした流れの中で起きた大きな出来事が、昨年の山健組の離脱だったのだ。
神戸山口組としてはさらに痛手となったのは、山健組が離脱しただけでなく、6代目に復帰したことだ。それでも神戸は組織存続の姿勢は崩していないが、勢力図が書き換えられつつある「山口組分裂騒動」は最終局面を迎えようとしている。(続きを読む)(文中敬称略)