ピチカートの音楽に乗って、刹那感にみんな踊っていた
野宮 もう5年になりますが、毎年「野宮真貴、渋谷系を歌う」というアルバムを作って、そのアルバムを中心にビルボードライブをやっているんです。そこでは渋谷系のルーツをカバーしているんですけど、アンコールだけはお約束でピチカート・ファイヴメドレーというのをやっていまして。
こだわっているのは、当時は打ち込みだったりサンプリングだったりで作っていたオケを完コピして生バンドで演奏しています。やっぱりファンの方たちは、好きな曲がアレンジされ過ぎているとアレッてなっちゃうじゃないですか。
速水 自分になじんでいるバージョンで聴きたいんですよね。
野宮 なので、それはそのままお届けしようと。ピチカートの生歌と生演奏は、いまのところそのライブでしか聴けません。
おぐら 僕と速水さんも先日そのビルボードライブ観に行きましたが、ピチカートのメドレーになると、それまで食事をしながらお行儀よく聴いていたお客さんたちが踊り出すんですよね。
速水 ピチカートって踊る音楽なんだよ。
野宮 そうですね。いま渋谷系の音楽を聴き返してみると、青春感があるというか、ワクワクする曲が多かった。
おぐら でも、ピチカートの歌詞はだいぶ憂いを帯びてますよね。サウンドはあんなにハッピーなのに。
速水 小西さんの歌詞はめっちゃ暗い。
おぐら 歌い出しが〈とても悲しい歌ができた〉って。
速水 どの曲も「僕たち結局は死ぬけど今日はテレビを見て過ごそう」みたいな。根暗な歌詞ばっかり(笑)。でもそこが小西康陽の世界観であり、クリエイティビティのすべてですよね。
おぐら それを野宮さんがあっけらかんと歌う。
野宮 『悲しい歌』も歌詞の内容はたしかに暗いんですけど、私の声で歌うとそこまで悲しくならないのかな。そう考えていくと、『東京は夜の七時』もまだ恋人に会えてないわけですし。
おぐら〈待ち合わせたレストランは もうつぶれてなかった〉なんて、普通に悲しいですよ。
速水 あの歌詞は、バブルが崩壊したあとの東京を意図的に歌っている。そもそもピチカート・ファイヴというグループそのものが、もう終わっているのにから騒ぎのパーティーを延々と続けているような存在で。その刹那感にみんな踊っていたんだと思います。
野宮 そういう見方もあるんですね。