昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

〈最年長棋士 ついに引退〉「勝っても負けても何も言わない」桐山清澄九段が初めて妻にかけた“1本の電話”

2022/02/23

 現役最年長棋士の桐山清澄九段(74)が、22日、伊奈祐介七段(46)に敗れ、今期竜王戦限りでの引退が決まった。1966年に四段プロデビューすると、棋王1期、棋聖3期を獲得し、通算996勝。最近は現役続行を懸けた厳しい勝負を戦ってきた桐山九段を支えてきたのが、妻の一子さんだった。
 
 55年に及んだ桐山九段の戦いの日々はどのようなものだったのか。最も近くで見ていた一子さんの証言を再公開する。(初出:週刊文春 2020年12月31日・2021年1月7日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)  

◆◆◆

「勝っても負けても何も言わない。でも…」妻が明かす最年長棋士の本懐

「ここまで続けて来られたのは、ファンの方々の応援と、家族の支えのおかげ。妻がいなかったら、将棋はおろか、身体が持たなかったでしょうね」

 そう語るのは、現役最高齢にして最古参の棋士・桐山清澄九段(73)。中原誠十六世名人や故・米長邦雄永世棋聖らとしのぎをけずり、一時代を築いた関西将棋界のレジェンドだ。

©平松市聖/文藝春秋

 半世紀にわたる棋士生活を支えてきた妻・一子さん(66)との出会いは、お見合い。一緒に暮らし始めた当初、一子さんはその不規則な生活ぶりに驚いた。

「対局は深夜まで及ぶことも多いため、夜型生活で外食ばかり。これでは身体が壊れてしまうと感じ、できるだけ朝起きて食事も三食とるように心がけてもらいました」(一子さん・以下同)

 棋士は座っている時間が長いため、慢性的な運動不足に陥りがちだ。心配した一子さんは、三十年ほど前、自身が通うスポーツジムに行くことを勧めたという。

「最初は渋っていたんですが、意外にも気に入ったようで今も週二回通い続けています。また、家で毎朝ストレッチをして身体をほぐすのも習慣化しています」

 棋聖三期、棋王一期、順位戦A級に通算十四期在籍してきた桐山九段。当然、好不調の波も経験してきたが、それを家族に見せることはなかったという。

「主人は勝っても負けても何も言わないし、今のように盛んに中継されている時代でもなかったので、勝敗は後日、新聞を見て知ることが多かったですね。でも、帰宅した時の『ただいま』で何となく分かるんです。負けた時は声が沈んでいて、勝った時は弾んでいるから」

 棋士は孤独な仕事だ。スランプに耐え、一人で勝負に挑む。一子さんは、夫にとって家族がいかに心のよりどころになっているのかを感じたことが何度かあったという。たとえば、タイトルがかかったある対局で負けた時のこと。直後に電話があり、「子供たちと一緒に今から遊園地に行こう」と呼び出されたそうだ。

「遊園地でお化け屋敷に入った時、主人がぎゅっと私の手を握ってきたことが今でも忘れられません。怖かっただけかもしれませんが、負けた直後だっただけに、様々な思いがあったのだろうなと感じて……。また、家でも時々ふと思い立ったように子供たちや私をハグすることがありました。主人は小学生の頃から親元を離れて弟子入りしていたので、家庭への思い入れは人一倍強かったのでしょう」

 桐山九段の弟子の一人が先日、羽生善治九段を退け、初防衛を果たした豊島将之竜王(30)だ。小学生の頃から月に一度、自宅で稽古をしており、その様子を見守ってきた一子さんも母親のような気持ちになることがあるという。

「一年ほど前、久々に豊島さんがうちに来てくれたのですが、昔の癖で思わず『駅までのバス代は二百二十円よ。大丈夫?』と聞いてしまったほどです(笑)」

 将棋界には引退制度がある。二〇年七月、桐山九段は負ければ引退という対局で勝利を収め、少なくとも一年間現役を続けられることが決まった。