被写体である高校生の周囲を取り巻く環境の変化
20年も撮り続けていれば、撮影を取り巻く状況は変わってきている。例えば、以前であれば、被写体の高校生が通う学校で撮影することもあったが、現在はそれが難しくなった。もちろん、許可を取れば可能だろうが、手続き自体が煩雑で、教諭の理解を得ることも難しくなった。
また、高校生の背後に広がる景色にも変化を感じている。
「昔と比べてどんどん背景が均質化している印象があります。地方に行くたびに思うんですけど、移動中にも、駅に降り立った時にも、どこの地域でも似たような風景が続いています。たとえばどこにでも、同じようなショッピングモールがあったりとか。それがすごく不思議な感じもしたし、奇妙にも思えた。彼らのなじみの場所を聞いても、『ショッピングモール』っていう回答が増えてきましたし。それでこんどはモールが気になって、モールだけを撮った作品も作りました(笑)」
小野の写真では、高校生本人だけでなく、背後にある景色も重要な要素だ。作品を撮り続けていく上で、社会の移り変わりにも敏感になった。
“自分の存在を見つけてほしい”という思い
ただ、20年間撮り続け自身が45歳になっても、被写体の高校生の中にいつの時代にも変わらない魅力を小野は見出している。
「彼らの応募の動機としては、『高校時代の思い出を残したい』という人が一番多いです。中には『役者やモデルになりたい』という人もいれば、『学校にも家にも居場所がなく、写真を撮られることで自分を変えたい』というすごく切実な動機がある人もいました。
動機はばらばらでも、やっぱり“自分の存在を見つけてほしい”という思いを、彼らは根底に共通して持っているような気がしています。それは、20年前も今も変わっていないと思います。みんなそれぞれ魅力があって、それを表に出せる人も出せない人もいます。たとえ表に出せなくても、その魅力を感じられるのが写真ならではなのかな、と。大きな声を上げられなくても、写真を撮る時は個と個のぶつかり合いになります。そういうことができるから、写真って良いなと思っています」
自身の仕事に意義を見出すことができているからこそ、小野は20年間も高校生に向き合い続けることができたのだろう。
ただ、コロナ禍は小野の撮影に大打撃を与えた。移動を制限されたこともあって、応募の数自体が減ったという。それでも、応募が全くないわけではなく、感染状況を鑑みながら、現在も小野は撮影を続けている。
日常が特別なものに感じるこのご時世だからこそ、小野が切り取った一瞬一瞬は、被写体となった高校生にとっても、見る者にとっても、いっそうかけがえのないもののように感じられるかもしれない。
インタビュー撮影=末永裕樹/文藝春秋