「外交や国防に詳しい人からは、彼の大統領就任は危険視されていました。彼はプーチン相手に“対話路線”を主張していましたが、プーチンは対話にのってこなかった。1度、メルケル独前首相やマクロン仏大統領の仲介で会談しましたが、国内からは『プーチンと1対1での対話はやめた方がいい』『政治家として上手のプーチンに言いくるめられてしまう』と懸念する声が多かった」(同前)
しかし、ゼレンスキー大統領は、その後努力を重ねてきた。
「ゼレンスキーはウクライナ語が苦手でした。ロシア語話者が多い地域に生まれたため、プライベートや、出演していたテレビ番組や舞台では全てロシア語でしたよ。『大統領になった時にウクライナ語を喋れるように最近頑張っている』とテレビで話していたこともあります。そのほかに専門家たちから教えを請い、大統領として“猛勉強”をしてきました」(同前)
その勉強の成果もあったのだろうか。ゼレンスキー大統領はややもすると理想的すぎる対話路線から、徐々に多角的な戦略を立てて未来を見据え始めた。
プーチン大統領は「狂った」のか、それとも…
「専門家らの助言を受け、NATOへの加盟や軍備増強の準備を進めました。21年、22年にドイツとフランスを交えた4者会談を開きたいと訴えるなど『対話路線』は続けつつも、うまくいかない可能性も考慮し始めたのです。その頃には就任当初の“素人感”が消え、見違えるほど政治家として成長していましたね」(同前)
人々の声に耳を傾け、現在は大国ロシアに必死の抗戦を続ける。ゼレンスキー大統領への支持はウクライナ国内から広がりをみせ、いま世界中に伝播している。
一方、人心掌握に長けたとされているプーチン大統領は、国際社会を敵に回す暴挙に打って出た。これはプーチン大統領が「狂った」からか、はたまたこれまでの策略の延長線上にあるのか――。いずれにせよ、戦争の先行きはいまだ不透明だ。