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「いつまで母親でいなくちゃならないの」「もっと稼ぐために風俗で働いたら」 なぜ‟毒親”だった母親を他の家族は‟責めなかった”のか

「いつまで母親でいなくちゃならないの」「もっと稼ぐために風俗で働いたら」 なぜ‟毒親”だった母親を他の家族は‟責めなかった”のか

鈴村五月さんインタビュー#2 

2022/03/21
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あの時家を出ていかなかったら、自殺していた

ーー家を出てから、家族と連絡は取らなかったんですか?

鈴村 4年間は取らない時期がありました。再会のきっかけは、連絡を取るようになった父から母が体調を崩したと聞いたことでした。母はうつ病と一緒にアルコール依存症を発症し、急性膵(すい)炎を起こして危篤状態で病院に運ばれていたのです。迷ったけど、死んでしまうかもしれないと聞いて、会いに行くことを決めました。

――再会して、よかったと思いますか?

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鈴村 よかったと思います。会ってみたら、昔の若々しさがなくなっていて……、変わり果てた姿に驚きました。

 今はそれから3年ほど経ちましたが、適度な距離感で接することができています。このまま互いに心地いい関係のまま、つかず離れずにいられたら。

ーーあの時、恋人と家を出ていかなかったら、どうしていたと思いますか?

鈴村 同じような毎日を送っているか、……自殺していたかもしれません。当時、死にたいという気持ちがはっきりとありました。それも、死んで楽になりたいというよりは、「家族に打撃を与えたい」って気持ちが強かったんです。死んで後悔させてやりたかったんですよね。

母の代わりにきょうだいの子育てを手伝いたい

――ネグレクトをした鈴村さんのお母さん。でもお母さん自身も、親からネグレクトを受けて育っていますね。その事情を、今はどう感じますか?

鈴村 ……しょうがなかったと思うしかないですよね。自分とはわけて考えるようにしています。

 

 父は普通の家庭で育った人でしたけど、母はネズミに耳をかまれたりする劣悪な環境で育ち苦労したようでした。日頃から「私はこうだったから、あなたたちにはこうしているんだよ」と過去の話をしてくれていました。

――鈴村さんご自身は、子どもが欲しいと思いますか?

鈴村 私は、作らない予定です。子育てに憧れはないし、家族を増やしたいとも思っていないので。

 でも先日、きょうだいに子どもが生まれました。子育てって、親のサポートが必要な場面もあるじゃないですか。我が家は母が当てにならないから、何かあったら手助けをしたいと思っています。

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