働かなくなった母の代わりに、1日に3つのバイトを掛け持ち。家では、きょうだいから罵倒される日々――。漫画「毒親だけど、愛されたかった」(KADOKAWA)では、作者・鈴村五月さんの実体験をもとに、母から受けたネグレクトと、家族の崩壊、離別、そして再会までの様子を描く。毒親から脱した経験を鈴村さんに聞いた。(全2回の2回目/前編を読む)

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母が「いつまで母親でいなくちゃならないの」と

――お母さんの恋人との暮らしは、7年ほどで終わり。恋人と別れたお母さんは資格を取り、自分のお店を持ったそうですね。

鈴村 ええ。私が高校2年生の頃に店を構え、裕福な生活ができるようになりました。でも、そのころから男癖の悪さが出てきて……。あっちにもこっちにもそういう関係の男性ができたんです。中には私の幼馴染のお父さんまでいました。

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 母は、「いつまで母親でいなくちゃならないの」と不平を漏らして、店もほとんど休むようになりました。次第に家へ帰ってこなくなったんです。

 

 家庭にお金が入らなくなったので、私は当時通っていた看護師の学校を退学し、アルバイトを始めました。それが19歳の頃。1日のうちに居酒屋とガールズバー、スナックやクラブのホステスをかけもちしました。

ーー家族のためにがむしゃらに働いたんですね。

鈴村 そうですね。22歳で家を出ていくまでの間、がんばりました。でも、きょうだいからは「うちがこんな状況になったのはお前のせいだ」って怒りをぶつけられるようになったんです。俗にいう、「スケープゴート」の状況でした。スケープゴートって、集団で結束するために、特定の人物を悪役に仕立てあげること。きょうだいも私をつるし上げることで、自分のことを守っていたんですよね。

 でも、「私はこんなに頑張っているのに、なんで罵倒されなくちゃいけないんだ」って、悔しかったです。

――お母さんの状況を、きょうだいに説明しなかったんですか?

鈴村 しなかったです。でも、本当は言わなくても、家族全員がわかっていたんですよ。母が働かないから家のお金がまわらなくなって、まずい方向に向かっているって。わかっていたけど、“いいお母さん”だった時期もあるから、母のせいにしたくない。だから一番当たりやすい私に怒りの矛先を向けたんです。

 

 最終的に、母からは「もっと稼ぐために風俗で働いたら」とまで言われました。ショックよりも、「いよいよ、言われたか」とあきらめに近い気持ちで受け止めていましたね。

 そういう出来事が積み重なって、当時恋人だった夫に促される形で、私はある日家を出ました。突然いなくなったんです。