2019年2月、濱口監督と山本氏は村上氏に映画化を希望する手紙と企画書を認め、送った。じりじりしながら返事を待つこと約4カ月、村上氏から映画化を許可する返答があった。
映画『ドライブ・マイ・カー』が動き出した瞬間だった。
製作費の調達とコロナ禍の困難
濱口竜介監督は1978年神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が内外の映画祭に出品され高い評価を得た。
15年には5時間17分の長編『ハッピーアワー』が、ロカルノ映画祭ほかで主要賞を受賞。前述の『寝ても覚めても』はカンヌ映画祭コンペティションに選出、20年9月には脚本を手掛けた黒沢清監督作『スパイの妻〈劇場版〉』がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞、21年3月には監督作『偶然と想像』がベルリン国際映画祭銀熊賞受賞と続けざまに国際的な高い評価を受け、まさに日本を代表する映画監督となりつつある。
濱口監督は東大文学部を経て東京藝大大学院に進んだが、学生時代の様子を東大時の同級生、坂本一馬氏が語る。
「中国語の語学コースの同級生だったのですが、仲の良いクラスで、映研に入った濱口監督の初めての習作短編をみんなで見る機会がありました。一つは死神が死んだ人から霊魂を呼び出すMV風の映画で、もう一つはボウリングで決闘する話。主人公が河原でフォームを一生懸命練習するのが面白かったのを覚えています。
当時の彼から今の姿を予想することはできませんでしたが、人柄は昔も今も変わりません。当時から全く偉ぶらない」
濱口監督と同じく東京藝大大学院映画学科出身である映画評論家の松崎健夫氏によると、
「撮影現場では往々にして何らかのトラブルが起き、思い通りにいかないものです。そんな時、濱口竜介監督は『現場での判断が早い』という印象があります。悩まない、というか、空間認識や時間管理に長けていて、演出に対する引き出しが豊潤であるようにも見えます。
また、ダグラス・サークやエリック・ロメールの影響を公言しつつ、在学中にはトニー・スコット監督の『デジャヴ』がその年のベストだったと語っていたほど、映画に対する守備範囲も広い。恩師である黒沢清監督は『濱口にしか作れない作品』と彼の監督作を評していましたが、 その評価は学内に留まらず、世界においても同じだった。それは本当に凄いことだと思う」