「この子が大人になるのを…」
「食事会に行ったけど、歩くのもつらくて、みんなについていけない。さすがにこれはおかしい」
そう思った東関は同年10月、九州場所に備えて訪れていた福岡市内の病院を受診。すると、医師からこう宣告されたのだ。
「肺ガンの可能性が高いです。いつ呼吸困難になってもおかしくありません」
ショックを受けた東関は、同じ審判部に所属する浅香山親方(元大関・魁皇)にこう吐露したという。
「部屋も建てて、娘も生まれたばかり。俺はこんな病気になっている場合じゃないんです……」
だが、検査入院した結果、肺だけでなく胃にも腫瘍が見つかった。その日の青く晴れ渡った秋空を、真充さんは今でも覚えている。帰宅する途中、東関は高砂一門の総帥でもある八角理事長に経緯を報告。この時はまだ冷静な様子だった。
しかし、まだ真新しい自宅に戻り、9カ月になる娘の無邪気な笑顔に接しているうちに、東関の頬を涙が伝い落ちた。
「俺は、この子が大人になるのを見られないかもしれないな……」
その後、八角理事長の紹介でガン専門病院の診察を受け、ようやく病魔の正体が判明。血管肉腫――。血管内皮に発生する、極めて悪性の強い“希少ガン”だったのだ。
すでにガンの転移は、肺や胃のほか咽頭部、頭部皮下などにも及んでいた。東関は緊急入院することになったが、追い打ちをかけるように心筋梗塞を発症。集中治療室に担ぎ込まれ、死線をさまよった。
「次に心筋梗塞を起こした場合は、延命措置をするかどうか決めてください」
残酷な現実を突き付けられると、真充さんは泣きながら医師に懇願した。
「この大きな体で相撲を取ってきたんです。体力はあります。頑張れると思いますので、どうかよろしくお願いします」
その言葉通り、東関は医師も目を丸くする回復力をみせ、やがて抗ガン剤治療開始の許可が下りた。一時退院したのは、年が明けた19年1月下旬。そこからは自宅療養を続けながら、週1回の抗ガン剤治療に通院する日々が始まった。
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