ウクライナへの全面侵攻を続け、国際社会から非難を浴びているロシア。その強硬的な態度が、日本へも向けられていることを忘れてはいないだろうか。日露間には依然として北方領土問題がくすぶり続けているのである。

 ここでは、ロシア研究の第一人者である中村逸郎さんの著書『ロシアを決して信じるな』より一部を抜粋。北方領土問題に対する、プーチン政権の狡猾な態度について紹介する。

穏やかな笑顔で写真に写るプーチン大統領と安倍晋三元首相 ©文藝春秋

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思いつき外交の弊害

 ロシアの狡猾さを象徴する場面を紹介しよう。2018年9月12日、ロシア極東の経済拠点、ウラジオストク市で開催された東方経済フォーラムの全体会合の場だった。この経済フォーラムは、プーチン氏の提唱によりロシア極東への日本、中国、韓国などの外国企業の投資を促進する目的で2015年に始まり、毎年9月上旬に開かれている。

 安倍首相はその日、日露関係の改善を訴える熱のこもったスピーチを終えた。そして席に戻り討論の場になると、着席したままのプーチン大統領は唐突に返答した。

「日露間は70年間、係争問題について議論してきたが、安倍首相から従来のアプローチを変えようという提案があった。これを踏まえて、さらに突っ込んだ話をしたい。そしていま、思いついた。日露間で平和条約を締結しよう。ただこの場ではなく、年末までに。いかなる前提条件も付けずにやろう」

 プーチン氏は視線を900人ほどの参加者に向けると、間髪(かんはつ)を入れずに会場の一角から拍手が湧きおこり、その響きは一瞬で会場全体を包み込んだ。プーチン氏は、得意満面になった。

「皆さんに拍手を求めたわけではない。でも、わたしの提案を支持してくれてありがとう。平和条約を基盤に、日露は友人としてすべての問題を解決していきましょう」

 まるでプーチン氏の提案を、満場一致で採択したかのような異様な雰囲気が広がった。拍手で議決する手法はソ連共産党の大会を彷彿させ、全体主義国家に特徴的なやり方だ。

 でもプーチン氏の発言は、日本にとって到底認められないはずだ。

「いかなる前提条件も付けずに」という発言は、領土問題を平和条約から切り離すのも同然だ。プーチン氏が大統領に就任した一年後の2001年、森喜朗首相とイルクーツク声明で「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」と合意した。

 平和条約に先立って領土問題を解決しようという両者の合意は、反故(ほご)にされたのだろうか。プーチン氏は、日本の首相を相手に嘘の約束をしたのだろうか。