今年もプロ野球が開幕して、ファンのみなさんの贔屓チームの勝敗で、一喜一憂する季節になりました。
私がいただいたお題は、「読売ジャイアンツの主力選手を蒸気機関車(SL)にたとえる」という無理難題です。私の趣味である蒸気機関の撮影が、ここまで飛躍してしまうとは……。驚きを隠せませんでしたが、興味深い企画だと思い引き受けました。
プロ野球と鉄道の深い関係
昔も今も、プロ野球と鉄道は深い関係にあり続けました。パ・リーグは西武ライオンズ。過去には阪急ブレーブス、南海ホークス、近鉄バファローズ、西鉄ライオンズの母体が私鉄鉄道会社でした。セ・リーグは現在も阪神タイガースが。東京ヤクルトスワローズの前身が「国鉄スワローズ」だったことを知るプロ野球ファンは、少なくなってしまったでしょうか。
プロ野球が発足した1934年から、選手の移動に欠かせなかったのは、東海道本線、山陽本線の鉄道網です。新幹線のなかった時代には、特急列車『燕』『富士』『櫻』で東西を移動していたのでしょうね。
当然ながら、東海道本線の電化が完了した1956年までの、優等列車の牽引機は蒸気機関車でした。1958年9月1日。東京駅から広島に移動する夜行列車に乗り込む巨人の主力選手・川上哲治選手と新人・長嶋茂雄選手に、巨人軍入りを表明した早稲田実業の王貞治さんが挨拶する有名な写真があります。プロ野球のオールドファンなら、一度は目にしているのではないでしょうか。
ここで特筆すべきは、東京駅のホームで3者が写った写真は、客車の窓下に白帯がある一等車(現在でいえばグリーン車)前で撮られていることです。そのまま川上選手は一等車に乗り込み、1年目の長嶋選手はホームを移動して三等車(現在の普通自由席)へ。あの大スターも、新人時代は三等車で移動していたのですね。
その日の東京駅発車時の夜行列車牽引機は、古い形の電気機関車だったのか、それとも蒸気機関車だったのでしょうか……。それでも、まだ電化されていなかった広島までの区間は、蒸気機関車に切り替えられたことは間違いないでしょう。
前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本題に入りましょう。
野球界の“ミスター”はC51だ!
まずは、私自身がお世話になった長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督について。蒸気機関車にたとえると、東京と大阪を結ぶ特急『燕』の牽引機C51です。
C51は戦後の1930年に運行を開始。その優雅な姿で、国鉄の優等列車を牽引し、時には『お召列車』(天皇陛下がご乗車される特別列車)の牽引機にもなりました。天覧試合(1959年)の巨人対阪神戦でサヨナラホームランを放った長嶋選手とイメージがぴったり重なるのが、現在も京都鉄道博物館に残る、C51 239号機なのです。
続いて、現役のユニホーム組に目を向けてみましょう。