斉藤アナと働ける幸運
この日の中継の空気がこの2分で作られたと言って過言ではない。5年間のブランクを感じさせないどころか、試合開始前に圧倒された。
圧倒されて聴いていて涙が出そうになるのと同時に、これまで私は一瞬もたゆまず努力をしてきたと言えるだろうかと、自らに恥ずかしさを覚えた。
言葉だけで戦況を伝えること、そのための技術や緻密な野球観はもちろんだが、斉藤アナの実況のすごさはそれだけにとどまらない。聴いている人を同調させる。共鳴とも言うべきか。自分の中にしか存在しえない感情が、斉藤アナの声で表現されると増幅する。ラジオを通して、斉藤アナの声を通してファンの気持ちが一つに束ねられる。
これが斉藤アナの実況の真骨頂だろう。
スタッフである私も同様に、斉藤アナの実況に興奮し、技術に感嘆し、果てしない準備に恐れ入る。そして同じ放送人としての至らなさに思い及び、心を改めることになる。
自分の甘さに向き合うのはしんどい作業だが、この積み重ねでしか高みを目指せない。そう思わせてくれる人と一緒に働けるのは幸運なことだ。
41年目に再び得た仲間
思えば、スコアラーとして働いていた頃もそうだった。
斉藤アナはスコアラーに求めるレベルも高い。スコアの書き方にも独自のルールがあるし、球数の出し方にもルールがある。私もそのレベルに到達したくて、野球を観たし、家でスコアを書きまくったし、字の練習をしたし、ルールを勉強した。斉藤アナ実況日に初めて「スコア」と勤務がついた日は、「私でいいんですか?」とディレクターに確認したほど緊張して身が引きしまる思いだったが、何より嬉しかった。
これを執筆している今も、私の目の前では新人スコアラーに自らのルールをレクチャーする斉藤アナがいる。この光景が戻ってきた。
昨年、松坂大輔引退登板の試合を文化放送は(一部インターネットラジオで)放送した。その試合を実況したのが、当時報道キャスターをつとめていた斉藤一美アナだった。その後、心境を訊いたところ「野球はもうしゃべらなくていいです」と話していたことを、今なら明かしてよいだろう。
冠番組を持つキャスターとして自らの持ち場を全うするという覚悟の言葉だっただろうが、神様(あるいは会社の上<かみ>か)はそれを許さなかった。斉藤一美アナには、やはり球場の中継ブースが似合う。
「大いなるマンネリ」は悪くない。ただ、それだけで終わらせるつもりはない。挑戦し続ける斉藤一美アナを再び仲間に得て、41年目のライオンズナイターが動き出した。
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