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小さな身体と反骨精神! 東京生まれの僕がドラゴンズと立浪和義を大好きになった理由

文春野球コラム ペナントレース2022

 皆様、はじめまして! ロックバンドKEYTALKでドラムを叩いています。八木優樹と申します!

 ラジオ、雑誌、インタビューで事あるごとに中日ドラゴンズファンであることをコソコソアピールし続けてきた甲斐がありました! このたび、文春野球コラムで執筆させていただくことに相成りました。嬉しい~!

 めちゃくちゃ詳しいわけではありませんが、ドラゴンズが好きな気持ちはバンド界一だと自負しております!(フラワーカンパニーズマエカワさん、サカナクション山口さん、cinema staff三島さんと大先輩方がいらっしゃいますが……) 一球入魂ならぬ、一筆入魂で行かせていただきます!

 私は東京都出身ですが、名古屋生まれ名古屋育ち生粋の名古屋人である父の英才教育により、小学校低学年の頃には星野仙一さんイズムが浸透したアンチ巨人を高らかに叫ぶドラキチに育っていました(今はアンチ巨人じゃないですよ)。

草野球でのポジションはキャッチャーです(八木優樹提供)

反骨精神の象徴、立浪和義!

 昭和最後の生まれの私が小学生だった1990年代後半は、地上波でプロ野球はやっていたものの、巨人戦一色。まわりの子供たちも当然、ほとんどが巨人ファン。さすが球界の盟主、東京の田舎でのジャイアンツ人気はすごかったです。しかし、バンドのバの字も知らないハナタレ小僧八木でしたが、すでに反骨精神に染まっており、絶対強者に肉薄する中日ドラゴンズに首ったけになっていました。

 その反骨の象徴となる選手が、立浪和義・現監督でありました! 

 私がプロ野球に熱中しはじめたのは98年。前年はナゴヤドーム元年というおめでたい年でしたが、まさかの最下位。ギリギリ記憶にあるのは、レオ・ゴメス選手が気を吐いていたことと、父が不機嫌だったことぐらい。

 しかし、チーム立て直しの中で、まわりの選手より小さい身体で、勝負強く粘り強いバッティングでチームを引っ張っていた立浪選手が、私のハートに突き刺さりました。少年野球を始めていた私は、自分の体の小ささにコンプレックスを感じていたのですが、チームの中心で活躍していた立浪選手に勇気を与えていただいていたのです!

現役時代の立浪和義 ©文藝春秋

 そのときは知りませんでしたが、度重なるケガで低調な成績が続き、立浪選手が引退するか悩んでいたというのが驚きでした。それでも諦めず、鍛錬を重ね、結果を出し続けていたことが、どれだけ苦しく、大変だったのか。大人になった今、想像すると熱いものが込み上げてきます。

 文句を言わず、弱音を吐かず、言葉ではなくプレーで雄弁に語る……。漢の中の漢であることに疑いの余地はありません! 日々発生する自分に対しての甘えを心の中の立浪選手が咎めてくれる。そんな気がしております!(崇拝)