ハリウッドの大スター、ウィル・スミスが世界中に生中継されていた第94回アカデミー賞の最中に、大物コメディアンのクリス・ロックの頰を張り飛ばした。テレビを観ていた聴視者だけでなく、会場にいたセレブや関係者も一様に凍り付いた。

 理由は、プレゼンターとしてステージに上がったクリスが、ウィルと共にいた妻で女優のジェイダ・ピンケット=スミスの髪をジョークにしたからだ。

壇上に上がり、司会のクリス・ロックを平手打ちするウィル・スミス ©getty

「『G.I.ジェーン2』が待ち切れないよ」

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『G.I.ジェーン』は女性兵士が海軍特殊部隊で男性兵士と互角に張り合うために髪を剃り上げるシーンが大きな話題となった作品だ。ジェイダは4年前に脱毛症であることを公表しており、今は髪を剃った姿で公の場にも登場している。このジョークに怒ったウィルはクリスを平手打ちし、「妻の名前をお前のファッキンな口に出すな!」と怒鳴ったのだった。

 この件は当日から1週間以上が過ぎた今も延々と語られ続けている。数ある意見の最大公約数は「クリスのジョークは行き過ぎだったが、いかなる理由があろうと暴力は許されない」だ。発砲事件も含めて暴力が溢れるアメリカでは、それゆえに暴力に対するアレルギーもある。

司会のクリス・ロック ©getty

黒人女性たちによる複雑な反応の理由

 だが、ここでは別の角度、黒人女性の置かれた状況から事件を見直してみたい。ジェイダは女性ゆえに髪が「無い」ことを揶揄された被害者だが、世間の耳目は暴力を振るったウィル、言葉の暴力とも言えるジョークを放ったクリス、つまり2人の男性に集まってしまった。いわば女性が置き去りとなってしまったのだ。

 人種を問わず、髪は女性にとって女性性のシンボルだ。だからこそ映画の中で女性が長い髪をバッサリと切られるシーンは、『Vフォー・ヴェンデッタ』のナタリー・ポートマンや『レ・ミゼラブル』のアン・ハサウェイのように残酷な他者による暴力を象徴する一方で、髪を自ら切るシーンは自己や社会の殻を破り、自由や解放を手に入れる描写に用いられる。