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 週刊ダイヤモンドに関して言えば、もし安倍氏へのインタビューがとんちんかんなものであれば批判を受けるのはダイヤモンド社とインタビューした記者だ。世に出た時点で論評される。だからダイヤモンドも看板を背負って記事を出す。そこに他紙(朝日)の記者が「ゴーサインは私が決める」とか「誤報を防ぐ」とか介入してくるのはあり得ない。

 なぜこんな行動をしてしまうのか。峯村記者の文章の最後のほうに答えがあった。

安倍晋三 ©文藝春秋

《私は1997年の就職活動の時から「朝日新聞こそが社会正義を実現できる」と信じて入社、四半世紀にわたって朝日新聞社および日本、世界の平和や正義のために身を粉にして尽くしてきたと自負しています。》

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 出ました社会正義! イヨッ、朝日新聞!

 それにしても私が定義した擬人化そのままではないか。「新聞は社会の木鐸である」という言葉をいまも信じて正義を追求する姿勢。その一方で「大朝日」のプライドも見え隠れする鼻持ちならなさ。まさかここまで証明してくれるとは! 私が興奮するワケをおわかりいただけただろうか。

正義のつもりでも、傲慢にしか見えない

 この騒動から教訓として生かせることは何か。それは、自分では正義のつもりでも周囲からは傲慢にしか見えていないという可能性である。

 今回の件は「朝日の正義、良心」の誤用のほか、権威へのうっとりも大きい。記者が安倍元首相の「顧問」と名乗っているのだ(本人もnoteで認めている)。権威を背にして他者(社)にエラそうに振舞う。これは政治家と新聞記者の近さどころではない。ただの取り巻きに見える。

 そんな自分の振る舞いを「誤報」というパワーワードを使用して訴えているのも読みどころ。朝日嫌いの人々に対しての目くばせにもなっている。《今、現実に誤報を食い止めることができるのは自分しかいない、という使命感も感じました。この時、私の頭によぎったのが、朝日新聞による慰安婦報道です。誤った証言に基づいた報道が国内外に広まり、結果として日本の国益を大きく損なった誤報でした。》と、慰安婦報道の過去にもつないでいた。さすがの文章術である。