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自転車を提供し、指導にあたったのは…

「スポンサー契約しているように言われますが、そもそも宣伝のために採用したわけではなく、CMの予定もありません。もともと理事長が『困っている小平さんを地元で支えよう』という気持ちで始めたのでね」(病院の広報担当)

「最初のコーチ」である父・安彦氏も、会社員として働く傍ら、彼女の頑張りを見守り続けてきた。

「安彦さんはスケートに関しては素人で、奈緒ちゃんは3歳の頃に2人の姉の影響で始めた。一生懸命働いて道具代をなんとかやりくりしながら、仕事帰りに練習を見てあげていました。大学受験では奈緒ちゃんが結城先生の下で学びたいと、国立の信州大しか受けなかった。意志の強い奈緒ちゃんを『まあ、なんとかなるだろう』と言いながらいつも見守っていましたね」(近所に住む親戚)

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 小平を支えた人々はほかにもいる。自転車製造販売会社社長の幸壬(こうじん)学氏は、自転車を提供し、トレーニングの指導にあたった。幸壬氏が振り返る。

「奈緒と結城先生にお願いされて2011年から7年間、京都から長野まで片道4時間かけて週2日通いました。会社の経理からは反対もされましたが、いくらかかったかなんて計算したこともない。ただ『誰よりも速く滑りたい』そんな純粋な子供のような思いに共感して、一緒に挑戦したいって思ったんです」

北京オリンピックで500m17位の結果となった小平奈緒選手 ©JMPA

彼らのがんばりは、もっと報われていいはずだ。