優れた人材は『島耕作』の時代に中国に行った
安田 当該記事がもうひとつ提案していた「日本の優れた人材の輸出」ですが、一定の年齢以上のメーカーの研究職の人たちが、中国企業からがっつり報酬を提示されて海を渡って研究開発しているような現象って、すでに10年近く前から起きていますよね。
山谷 元サンヨーのおじさんが、シャオミで炊飯器作っている例とか有名ですよね。でも、日本の産業の視点からすると、これって声を大にして推進するようなことなのか……? 違うはずです。むしろ藤田さんが記事で嘆いていた、日本の停滞を加速させる結果にしかつながらないような。
安田 それ以前に、そもそも日本企業は1990年代からの中国ブームで現地にバンバン進出して、社内の第一線のエリートをいっぱい送り込んでいました。2000年代前半頃の『島耕作』に描かれている世界ですね。
山谷 中国に過適応して、中国ではバリバリに仕事ができたけれど本社に戻ってきたら何もできなくなっちゃった寂しいおじさんとかも大勢いますよね。元「優れた人材」というか。
今は中国側が日本の「優れた人材」やその知識を必要としていない
安田 日本企業から見ると、2010年ごろまでは中国へ「優れた人材」をたくさん送り込んできたけれど、中国でうまくいかなかったり政治的リスクがあったり人件費が上がったりで、ここ5年くらいは中国離れが進んでいるわけです。だから、いまの中国を見て日本の「優れた人材」が少なく見えてしまうのは、当たり前ともいえる。
山谷 なにより、中国側が日本の「優れた人材」やその知識がいらなくなっている。特に産業面における日本へのリスペクトは明確に減りました。例えば僕自身の話なんですが、かつて2005年頃に中国ポータルサイト大手の網易(NetEase)から「日本のスゴイ電子製品やITについて記事を書いてくれ」と頼まれたことがあったわけですよ。
安田 書いてましたね。当時はまだ、ソニーとかパナソニックとか、中国ではバリバリのトップブランドでした。
山谷 網易、2005年当時はもう三顧の礼で書いてくれと言っていた。彼らは「最高額の原稿料を出す」と言って、それが1本100元(約1500円くらい)でしたっけ。一生懸命書きましたよ(笑)。
安田 中国の原稿料で100元は高い! でも、一番高くて1本100元ってことは、月に20本書いても2000元だから、ホンハイ工場でiPhoneを組み立てる人の月給の半額以下ですね。中国で文筆で食っていくのはキツそうだ……。さておき、網易の連載のその後は?
山谷 2014年頃に「もういいです」と言われて切られちゃった。中国として、電子製品やITの世界で日本を仰ぎ見ることはもうなくなっちゃって、学ぶべきものはないということなんでしょう。
安田 それらにかわって、近年は旅行やグルメの対象としての日本のブランド感が上がってきた感じはありますけどね。日本の旧来の産業の没落と、中国の都市部の人たちが豊かになったことで、従来とは別の部分がウケるようになってきた。
山谷 最近、百度(バイドゥ)の地図で検索すると「深夜食堂」っていう店名がぼこぼこ出てくるんですよ。日本のマンガが原作のあれです。中国で作られたリメイク版ドラマは出来がめちゃくちゃひどくてネットでも大炎上していたんですが、日本の居酒屋の空気感にあこがれる中国人は多いみたいで。現在のトレンドはこういう部分ですよね。
(後篇「過剰な『日本下げ』『中国スゴイ』論に物申す」に続く)
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山谷剛史(やまや・たけし)/1976年東京都生まれ。中国アジアITジャーナリスト。中国雲南省昆明を拠点に、アジア各国の現地一般市民の状況を解説するIT記事や経済記事やトレンド記事を配信。「山谷剛史の「アジアIT小話」」、「山谷剛史のマンスリーチャイナネット事件簿」、「中国ビジネス四方山話」、「山谷剛史の ニーハオ!中国デジモノ」などウェブ連載多数。著書に『中国のインターネット史』(星海社新書)、『新しい中国人』(ソフトバンククリエイティブ)など。講演もおこなう。
安田峰俊(やすだ・みねとし)/1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。中国の歴史や政治ネタからIT・経済・B級ニュースまでなんでもあつかう雑食系だが、本業はハードなノンフィクションのつもり。著書に『和僑』『境界の民』(KADOKAWA)、『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)、編訳書に『「暗黒」中国からの脱出』(文春新書)など。