「文藝春秋」2022年5月号より、両親の在りし日を振り返った四男の画家・石原延啓氏の手記「父・慎太郎と母・典子」を一部転載します。

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母の生涯は「父がすべて」

 母の葬儀の際に印象深い出来事がありました。

 棺に入った母の姿を見た姪が「マーちゃん(おばあちゃん)はいつも前髪を気にしていて、綺麗に整えていたのではなかったかしら」と言い出したのです。兄嫁たちも、そうだそうだと同調し、改めて前髪をおろしてもらい馴染のある姿に整えてからお別れをいたしました。

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 随分と前に父から前髪をおろした方が好みだとでも言われたのでしょうか、いつも父が望む姿でいたくて前髪を整えていた。男兄弟なんてがさつでどうしようもないものです。私たちが母の一体何を知っていたと言えるのでしょう。「どうもイメージが違うんだよな」などと思いながら葬儀の当日まで母親のお気に入りの髪型ひとつ気付かなかった。

石原延啓氏

 葬儀の最後、母が荼毘に付されるとすぐ上の兄宏高が、会場の端でひとり号泣していました。日頃はクールに実務を進める兄の頬に涙がつたうのを横目で見ながら、私たち4人兄弟それぞれに違った形で様々な母との物語があるのだろうと思い胸にこみ上げるものがありました。

 父の死については医師から余命3カ月の宣告もあり、どこか覚悟していたところがありましたが、突然だった母の方は亡くなって1カ月以上たった今でも事実を受け入れられない、というか受け入れることを拒否している自分がおります。

 四十九日を待たずに父の後を追うように母が逝った後、文藝春秋さんより母についての話をお聞かせ頂けないかという話を頂戴しました。表の人ではないですし、何をお話しできるかも分かりませんでしたが、弔問に来て頂いたある方から「お母様がお父様を裏から支えていたということは、お父様を応援して下さった日本中の全ての方々の思いを受け入れていたということです。大変なことだったと思いますよ」と言われたことを思い出しました。この場をお借りして母の一生を見つめ直したいという思いと共に、女性の自立が唱えられる時代に「連れ添う」「寄り添う」、そんな在り方もあったのだということを母の姿を通して再考してみたいと思いました。