2022年2月1日、89歳でこの世を去った石原慎太郎氏。一橋大学在学中の1956年に作家として鮮烈なデビューを果たし、1968年に政界進出後は政治家としても大きな注目を集める存在となった。

 ここでは、同氏の文筆活動のエッセンスを集めた『石原慎太郎と日本の青春』(文春ムック)から、若き日の石原慎太郎氏が「ネス湖怪獣国際探検隊」の総隊長を務めた時のエピソード、「ネス湖探検隊 怪獣はそこにいる!」の内容を紹介する。(全3回の1回目/2回目を読む)

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 その青年は、作業船が岩壁を離れる半時間前に必ず現われて乗船し、作業中船首(バウ)の巻揚機(ウインドラス)にすわり、隊員たちの作業をじっと見つめている。時折、新しいでき事があると、抱えている日本製のカメラを構えて、フィルムに収めた。

 スコットランド特有の変化の激しい気象に、冷たい風が吹きつけると上着の襟を立て、時雨が降り始めるとレインコートを羽織り、われわれが屋根のあるブリッジに逃げ込んでも、一番作業の見やすいその場所を動こうとしない。水面に何かの変化が現われると、舷側で、水中にいる隊員のために水中ランプのコードを操っている助手たちよりも目ざとくそれを見つけ、静かにカメラを構え直し、待ち受けている。

 隊員に聞くと毎日のことだそうな。その表情には気負いこそないが、いままで何かを懸命に待ち尽くし、なおまだ待ち続けている人間の、東京から飛行機で駆けつけたせわしないヤジ馬には近づきがたい、ある種の尊厳のようなものすらあった。隊員が水中にある間、視線を一点に定めじっと動かぬ彼の居ずまいは、若いが何か冥想して、結跏趺坐(けっかふざ)した行者のようにも見える。

「潜水艇が来たら、こいつだけは1度乗せてやらないと義理が悪いや」

 隊員の1人が言っていた。今回だけではなく、いままでもこれからも、その瞬間まで、彼は暇あるごとに所を選んで、同じように湖を見つめながらすわり続けるに違いない。23という年にしては若く見える。金髪に、無気味なほど一面に濃いそばかすがあるが、それを除けば端整な顔立ちの青年だった。

若き日の石原慎太郎氏 ©文藝春秋

 隊員たちが水中にもぐって行き、ボンベの切れるまでの数十分の間に、私は彼に近づき話しかけてみた。最初の質問は、結局「きみはネッシーはいると思うか」ということになる。うなずきもせず、彼はかすかに眉をひそめ、不可解そうに「あなたはいないと思うのか」と聞き返す。それは毅然として、「然り」と答える以上に確固とした回答に感じられた。

「きみは、ネッシーがいるということについて、きみなりの個人的な資料を持っているの?」

 と質した私に、

「私はまだ見ていないが、モンスターを見た人間はこのあたりにたくさんいます。その報告は、公けにされている資料の中に収まりきれないくらいあるのです――」

 言葉の途中で彼は私を見直し、それを信じる信じぬはあなたの勝手だというように語尾をのみ込んだ。