2022年2月1日、89歳でこの世を去った石原慎太郎氏。一橋大学在学中の1956年に作家として鮮烈なデビューを果たし、1968年に政界進出後は政治家としても大きな注目を集める存在となった。

 ここでは、同氏の文筆活動のエッセンスを集めた『石原慎太郎と日本の青春』(文春ムック)から、若き日の石原慎太郎氏が「ネス湖怪獣国際探検隊」の総隊長を務めた時のエピソード、「ネス湖探検隊 怪獣はそこにいる!」の内容を紹介する。(全3回の3回目/1回目を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

 いるはずのないネッシーを探すより、いるかもしれないニホンオオカミを探せというのも、独断の上の勝手な押しつけで、オオカミはオオカミに関心ある人間が探しに行けばいいので、新聞がとやかく言う筋はあるまい。

 それと、企画の主催者、主導者に、呼び屋と代議士がいるということをいやらしげに書いた新聞があったが、代議士はともかく、どうやら記者は、呼び屋という職業に偏見があるようだ。

 しかしその記事の載った新聞社も、肝心の公正で正確な報道の職務を忘れて、偏向した政治記事を載せ、加えてその意図に沿って、みずから呼び屋となり、康芳夫(こう・よしお)君の呼んだトム・ジョーンズやクレイという一流の呼び物ならともかく、どこぞの国のおよそ芸術的価値もない、キツネつきの政治体操のようなバレー団を呼んで、識者のひんしゅくを買ったりしているではないか。

若き日の石原慎太郎氏 ©文藝春秋

 そうした興行商売としても足の出る、ましてわが国の文化文明に何のたしにもならぬサイド・ビジネスでできた赤字の穴埋めが、新聞料の値上げのもとになり、あるいは大企業として、新聞本社から販売小売店への封建的な収奪ともなっているのだから、呼び屋への職業的偏見とは身のほど知らずとしか言いようもない。

 おまけに、そうした本国の新聞の論調を気にして、現地の大使館までが渋い顔をしている。彼らにはこの時代になってもまだ依然として、外交は自分たちがやっているという滑稽な錯覚があるようだが、ネス湖でもぐって、世界の耳目を集めている隊員たちと、彼ら外交官のいずれが、日本の印象について、英国のみならず世界中に対して強い操作をしているかということは、考えなくてもわかるだろう。

 たとえば、折から来訪していた田中総理の一行について、イギリスの報道機関が示した関心度や、報道内容の貧弱さにくらべて、BBCの昼の定時ニュースは、チャーターした潜水艇の到着が遅れたということを、ニュースの第4番目に報じていた。日本の総理大臣の滞英中の予定行事について、ニュースで、何番目に何度知らせたかは知らないが。

 ちょうど探検隊と同時に来英していた日本代表のラグビー・チームは結構だが、ネス湖組のほうは困るという言い方を何人かの大使館員がしていたが、その判断は、結局ある種のイギリス人の差別意識と、日本人への筋違いの被害感や敵意におもねったものでしかない。

 イギリス人にしてみれば、自分たちの発明したラグビーという国技を、およそかかわりのないはずの東洋人種の1人が懸命にマスターして、いわば恩返しに胸を借りにはるばるやってき、やはりまだとても相手にならず破れて帰るのは、眺めて好ましくないはずがない。

 しかしその試合たるや、日本チームは、相手が後めたく思って、それだけは礼賛せざるを得ないほどフェアな闘いぶり。本家の相手は、よもや負けては面子の取り返しもつかぬと、ラフプレーの限りを尽くし、スクラムの下でリーチの長い手を伸ばし、日本のフォアードの目や鼻を突きまくったと言う。それでももし相手が敗れでもしたら、ルールの違反だのなんだのあらゆる手を尽くしたに違いない。