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「そうだ、ネス湖には怪物が存在している」若き日の石原慎太郎が導き出した“伝説・ネッシー”の存在理由とは

『石原慎太郎と日本の青春』より #3

2022/03/24

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能,

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 私自身、日本からはじめて参加した第1回香港・マニラレースで、勝負を決定的に左右するヨットのTCF(ハンディキャップ)の判定に、コミッティであるイギリス人のメジャーラに、めちゃめちゃな計測をされ、そのために惜敗したにがい経験があるが。

©文藝春秋

 要するに日本の現地の公館も、日本の新聞も、その特派員も、だれかにへつらった冷笑を浮かべるだけで、彼らを含めて、日本人全体でつくった日本人の対外的肖像の中で、歪められ、曲解された怪獣探索計画のカバーをほとんどしようとしなかった。もちろん私たちは初めからそれを期待もしなかった。そこにこそ、康プロデューサーの言った市民社会における冒険の虚構への挑戦なるスローガンのいわれがあったと言えるだろう。

 私自身は、再延長国会で日本に釘づけされるまま、入って来る報道と、そのまた報道に混乱させられたが、衆院の行事が終ってすぐスコットランドに発ち、エディンバラから車を駆って中部スコットランドを横切り、インバネスを経てネス湖に着いたとき、膚の上だけでなし、私の心の内にある清涼感があった。

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 何と言おう、それはこの湖の底にいると言われる怪物の伝説への共感の予感と言えたかもしれない。

 それでもまだその夜仲間たちとの会食で、私は康プロデューサーに向かって、これだけ騒がれて見つからなければカタがつくまいから、上野の博物館前に野ざらしになっている恐竜の骸骨でも盗んで来て、湖にほうり込み、何食わぬ顔をして引き揚げたらどうだ、ブラックヒューモアにはなるかもしれないなどと言ったが、杉内潜水隊長は憤然とした顔で私をにらみ返し、他の隊員は目をそらし、現地で雇われた日本人のヒッピーだけが、みんなに気がねしたように下を向いて笑っただけだった。

風土が生み出したもの

 明日の打ち合わせにやってきたイギリス人隊員に、バーで同じ冗談を言ってみたが、彼らは康君が総隊長として紹介した男の口から漏れた意外な言葉に、微笑もせず、解しかねただただ当惑したように見返すだけだった。

 そしてその訳を私はまず翌日、岸からわずか100メートルたらず、それでもすでに水深70メートルという地点で潜水する作業をする船に乗り合わせ、作業を眺めることで、知る、というより覚り始め、以後数日、探索にかかわる内外いろいろな人間たちを眺め話し合うことで、覚り切ることができたと思う。

 そして、基地を構えたドラムナドロヒトの湖畔に立つ、怪異なウルクハルト域の廃墟や、ピートに染色され、日がさせば、ポラロイドグラスを通したように無気味な鮮やかさで輝くネス湖の水を眺めることで、あるいはまた晴天の朝に続いて、午後たちまち灰色の重い驟雨に隠れ、凍てた北西の突風にまた青黒く現われる湖を眺め渡しながら、なおいっそう私はそのわけを私の五官でとらえ理解できた。

 私が改めて知ったものは「風土」についてであったと言える。いや「風土」そのものだった。

 私は、外海を走る船をみずから操るせいで、たぶん他の大かたの日本人よりも詳しく、かつ実感的日本の海象について知っている。そしてそれゆえに、そうした海象に囲まれ、閉ざされた日本の陸の気象の意味についても。

 そしてその海陸ともどもの気象によってかもし出された日本の文化、伝統、歴史のすべてを実感として風土の所産として、受け入れ、理解できるのだ。

 「万葉」も、「源氏」も、浪花節も、日本人の信仰も、すべてがそうだ。ネッシーも、いや、あの船にすわって身じろぎもせぬ青年のいうように、ネス湖のモンスターもまた、トリスタンとイゾルデや、フランケンシュタインのように、ある風土のみが生み出した伝説であり、バイキングのように、ある風土にしてあり得る実在なのだ。