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 それが実在であり得る限り、それは彼らの伝統であり、文化と言えるに違いない。お水取りの儀式に、あるいは伊勢の遷宮の御霊遷しに身を凝して、しわぶき1つせぬ日本人を他の日本人が笑えず、また余人にも笑わしめぬように、私には船上のウインドラスにすわったまま身じろぎせぬその青年を笑いようがない。

 彼もまたある風土の所産であり、他から来ただれよりも、土の与える本質的なすべてのものと交わる魂を持ち、五官を持ち、資格や能力を持った人間であるのだから。

 そして、怪物の実在を信じ、つまりスコットランドのこのネスなる湖の周辺の風土の個性とその尊厳を信じ、彼らが持つある魂に発した純粋な渇望のゆえにこそ、隊員たちは、ネス湖を渡る凍てて重い突風と暗い驟雨のうちに、あの怪しく美しい茶褐色の玻璃の水の輝きのうちに、その湖に沈んであるという怪物を「信じる」というより、その不可知な事実の上に自分を支えながら、ある人間たちの内にある澄んで美しい本質的なものに通い、応え合おうとしているのだ。

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©文藝春秋

ネッシーはいるのだ

 滞英中、その事前にも、英国の情報局の鑑識が保証した数年前に撮られた怪物の動く部分のシネフィルムを含めて数多く見聞きした資料や証言も、しょせんは彼らとあの者たちの魂の内にあるものを飾るただの道具立てでしかない。

 もちろん何の報酬もなし、身を切る風の中でスーツを着込み、さし入れた指の見る間に凍てそうな濁った水の底へ、数十メートル、さらに百数十メートルもぐって行く彼らの黙々とした快心さのうちに、そしてそれを見つめて、毎日々々身じろぎもせずにいる件の青年の、まがいなく在る事実の発見到来を、ただ平明に待ちうけているその瞳の内に、私はさらに、風土の違いや、まして国籍などを越えた、人間のある公理をのぞいたような気がしていた。

 それは、不可知をただ未知に変えていく人間の、知るということへの、それもみずから知るということへの願望の純粋さと、その情熱の美しさだった。

 そう思ったとき、突然、総隊長なる私も、プロモーターなる康君も、それを取り巻くいかなるジャーナリストも、そしてそれらのはるか背景としてある国際関係も現代文明も、それらすべてのものがまったくかかわりなく、わずらわしく、よけいなものに感じられてならなかった。それらはただ最も本質的なるものを歪曲し、粉飾するだけにしかなりはしないのだ。

 翳った空の下の、暗く淀んだ褐色の広がりのうちに、潜水隊の立てる気泡のかたまりが時おり淡くわき上がる水面を眺めながら、私は、いま思いがけなくすべて文明なるもののわずらわしいメカニズムを溯行し、その原点に立ち返ったような気がしていた。

 彼らがいま何の犠牲も恐れず、何の報酬も願わず、ただ一途に期待し、信じ、探し求めているものは、新大洋でも、新大陸でも、ガンビールスでも、何でもいいのだ。そしてそれらが結局発見され、あるいは将来発見されるように、ネス湖の怪獣も、まがいなく存在し、そして将来必ず発見されるのだと私は思った。いや、そう信じた。

 そうだ、ネス湖には怪物が存在している。

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