亡くなったのは3月8日のことで、父の死からわずか1カ月後でした。その日の朝4時過ぎに突然、母が暮らす高齢者施設の看護師さんから、「苦しいと言っている」「巡回医を呼ぶ」「救急車を呼ぶ」「受け入れ先を探している」と立て続けに連絡がありました。すぐに駆けつけようとしましたが、搬送先に来てくれと待機させられました。次には「厳しい状況なので救命センターに運ぶ」、そして「救急車内で容体が急変し、脈と呼吸が停止状態だ」となり、救命センターへ向かいました。駆け付けたときにはまだ救命装置を施された状態でしたので、すぐに機材を外してもらい臨終の確認をお願いしました。
待機などせずに、今際の際には自分の勘に従って行動するべきだった、そうすれば救急車に同乗して死に目にも会えたかもしれぬと後悔の念がこみ上げましたが、コロナ禍の中では仕方なかったのかもしれません。
ただ、母は以前より父より長く生きることを決め込んでいたふしがあるので、その務めを果たせて思い残すことはなかったのかもしれません。兄たちとも「親父のあとを追いかけていっちゃったね」と妙に納得しながら話しています。母の84年の生涯は「父がすべて」と言っても過言ではなく、とにかく家族にすべてを捧げた人生でした。
18歳の若さで結婚
2人が結婚したのは1956年、父が23歳、母はまだ18歳でした。当時の常識でも早い結婚だったはずです。親の馴れ初めなど恥ずかしくてこちらから詳しく尋ねることはありませんでしたが、元々祖母同士が知り合いの幼馴染だったそうです。
父方の祖母が「可愛い子がいる」と父に紹介したと聞いています。知り合ってからは父が母の家庭教師のように勉強や運動を教えてあげていたそうです。
母が14歳で母親を亡くした際は、告別式に参列した父が、「僕の父親も亡くなって、明日でちょうど1周忌です」と挨拶したとか。お互い早くに親を亡くし、自分の悲しみに共感してくれる父の言葉に母がいたく感動したという話は最近、昔の記事を読んで初めて知りました。
よく考えますと、今私の息子が高校生で当時の父と同じ齢なのですが、その年頃の高校生が中学生になりたての母に声をかけたわけで、わが親ながら「そんな趣味があったのか? 危ないな」と思ってしまったのも事実です(苦笑)。