ツーショット写真の裏側
1958年8月に軽井沢で撮影された「ツーショット」写真も、2人が親密に交流した印象を与えるが、果たしてどうか。仲よく並ぶように見えるが、実際は間に男性ひとりがいる。偶然、仲よさそうに撮影されたショットに過ぎない。
明仁皇太子はその年の夏、軽井沢で友人・知人多数と頻繁にテニスをした。そこには多くの女性がいて、美智子もそのひとりであった。新聞社は、皇太子周辺にいる女性を片っ端から撮影した。毎日新聞記者藤樫の旧蔵資料(「皇太子妃候補関係ファイル」)のなかには、同紙がこの年、軽井沢のコートで撮影した若い女性のリストが残り、25人もの名前が挙がる。
毎日新聞・朝日新聞の2社だけが、宮内庁が密かに美智子を妃候補として調査していると勘付いてはいたが、この2社とて半信半疑の状態であった。
選考チームと皇太子にとって注意すべきことは、美智子には、彼女が皇太子妃候補であると知られてはならなかったことだ。結婚が意識された途端、交流を忌避する事態が容易に想像できたからである。相手に気付かれずに、親しくなるのは難題であった。
明仁皇太子の姉東久邇成子(もと照宮)は、皇太子と美智子の交流について、さらにシビアな見方をする。婚約発表当日のNHKテレビでのコメントだ。東久邇は「推薦されたなかに、たまたま東宮様〔皇太子〕がテニスの折々にお目に止められていた方があったということは不思議な御縁だと存じます。〔中略〕長いこと、相手に気付かれないように観察なさったうえで、〔最後に〕その御決心を打ち明けられました」と説明する。
美智子との交流は、彼女の適性を観察する場であったと、東久邇は位置付ける。ロマンティックさがまったくない冷静な物言いであるが、テニスデートを否定する客観的な視線であった。