1ページ目から読む
3/3ページ目

「会社で最初に相談したのは、直属の上司ではなく、人事部長です」

──でも実際に職場復帰となると、いろいろ大変だったのでは?

西口 検査入院の時は、自分もまさかがんだとは思っていないので、会社にも「ちょっと休みます」と伝えていました。がんの告知を受けてもまだ心の整理はできなかったのですが、治療は続いていくので、どうしても言わざるを得なくなり……。手術後体調が落ち着いてから、少しずつ会社や上司、近しい友人たちに打ち明けていきました。

 会社で最初に相談したのは、直属の上司ではなく、人事部長です。残業制限や週1回の治療のせいで、営業成績をあげられない葛藤もありのままに話し、上司にどう伝えたらいいかなども相談に乗ってもらいました。

ADVERTISEMENT

 

──仕事と治療との両立で、一番大事だと感じたことは何でしょうか。

西口 僕はすごく「結果オーライ」みたいな感じで進めたので、ラッキーだった部分もありますが、「もし副作用が強く出たら休ませてほしい」という相談などを受け入れてもらえたのは、それまでに積み重ねてきた会社との信頼関係が大きかったと思います。これはがんだけに限ったことではなくて、介護休職や産休・育休にしても、それまでの働き方の中で職場や周囲の人たちと信頼関係が築けているかどうかが大切なんじゃないか、と感じました。

「シビアな現実を突きつけられて『人生最後の仕事』を考えました」

──営業職から人事に変わったのは、どうしてですか?

西口 復帰して1年間は営業職のままだったんですが、2016年の春に、それまで2種類使っていた抗がん剤のひとつにアレルギー反応が出て使えなくなったんです。それを機にセカンドオピニオンを受けに行ったのですが、「手術できない」という状況は変わらなかった。元気なつもりだったけど「明日死ぬかもしれない」というシビアな現実を突きつけられて「人生最後の仕事」を考えました。

 そうしたら、2016年4月に立ち上げた「キャンサーペアレンツ」の活動をもっとやりたいと思ったし、それまでお世話になってきた会社のためにもっと恩返しもしたいと思った。そんなさまざまな思いを全て社長に伝えたら、「それなら、本社に戻って人事をやってくれないか。シフト勤務に変えて、空いた時間で活動もやったらいい」と応援してくれたんです。

――そういう経緯があったんですね。

西口 ありがたかったですね。同時に、「情報がほしい」と思っている子どもを持つがん患者すべてが「結果オーライ」や「結果だめだった」ではなく、情報を得て納得した上で判断していけるよう、本格的に活動を進めていこうと決意しました。

 

(#2に続きます)
写真=末永裕樹/文藝春秋

INFORMATION

にしぐち・ようへい/1979年、大阪府出身。妻、娘(9歳)の3人家族。2015年2月、35歳のときにステージ4の胆管がんと診断される。周囲に同世代のがん経験者がいない状況のなか、インターネット上でのピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を立ち上げる。現在も、抗がん剤による治療を続けながら、仕事と並行して活動を続ける。「がんと就労」「がん教育」などのテーマでの講演や研修なども行っている。