当時の暴走族の実態「後輩並ばせ正座させて端から…」
下田さんは「歌舞伎町あたりにはそういうのが大好きな女の子がいて、走っていると手を振ってくれたり歓声をあげてくれたり……。それが嬉しくてやっていたのかもね(笑)」と話す。
「他にも悪いことは何でもやりましたよ。(記者が)書くっていうからあんまり話せないけど、時代が今とは違うということもある。今やるなら2秒で捕まるような不法侵入とかシンナーとか……あとは“ヤキ入れ”もしましたね。後輩を集めて、弛んでいるということを名目に全員並ばせ正座させて、手を後ろに回させて目をつぶらせてね。端から殴ったりしていくんです。弱い者いじめじゃなくて、族の後輩だからね」(下田さん)
後輩のいざこざから仲間の頭にバールが突き刺さり大量の流血で、意識不明になる事件なども発生したという。
「先頭に白バイ」地元警察の先導で“解散パレード”
暴走族漫画や不良漫画ではおきまりの、大人数での喧嘩などもしていたのだろうと記者が質問すると意外な答えが返ってきた。
「暴走族同士ではあまり乱闘にならないよ。『今日から俺は!!』もそうだけど、あんなにしょっちゅう喧嘩ばかりしていない。やることはやるけど、数人単位だし、血だらけになるほどやりあってはないよ。向こうだって余計なけが人を出したくないから、別の暴走族と会っても『頭すごいね』『どっかで会ったらまたよろしく』とすれ違うだけだからね」
2年超の活動期間の後、地元警察の先導で解散パレードをやったという。現在だと考えにくいが、かつては“ヤンチャ”たちと警察の距離は今よりずっと近かったようだ。
「解散を条件に一般公道走らせてやるって。先頭に白バイがいて、ケツにパトカーがついて、間に俺たち。100台くらいはいたかな。車線内であれば蛇行運転も許されていた。狭山警察署から入間インターにあった公園でUターンみたいなルートだったね」
「初代特攻狭山」解散後、メンバーはどのような人生を歩んだのだろうか。
「40~50人くらいはヤクザになった。そういう時代だからね。俺は組織販売。ねずみ講だね。法人登記もして3軒家を持ったこともあったけど、組織は崩れて5年で辞めた。その後は36年、トラック運転手一筋。今ではゴールド免許ですよ(笑)」(内藤さん)
下田さんも紆余曲折あったようだが、現在は至って真面目に働いているようだ。