「全然おもろないぞ!」とヤジが飛ぶことも
劇場で漫才をしていると「全然おもろないぞ!」というヤジが飛んできて、言葉に詰まってしまったことも少なくない。でも今の僕はヤジを飛ばしてきた人に向かって「そんなん言うんなら、あなた今おもろいことやってみて。3、2、1、ハイ! ほらできひんでしょ。じゃあ黙っとれ!」と言い返すくらいの余裕はある。
これは僕が芸人だからできることだ。
芸人の振る舞いをテレビなどで見て真似したくなる気持ちは分かる。僕自身もそうだったし、真似することで友だちと笑い合った経験もあるし、何の自信もなかった僕をお笑いが救ってくれたという部分も大いにある。
それでもやっぱり、お笑いが人を傷つけてしまう可能性はないとは言い切れない。プロフェッショナルな技術を持たないまま他人をイジるのは、誰かを傷つける危険を伴う行為なのだ。
楽しさから生まれるポジティブな笑いと、笑いものにされるようなネガティブな笑い。笑いにはこういう二面性が潜んでいる。笑いはコミュニケーションツールとしても使えるものだが、お互いの信頼関係がなければコミュニケーションは成り立たない。その人の気持ちを考えずに相手を笑いものにするのは、はっきり言っていじめだ。両者の同意があって成り立つという意味では笑いとセックスは似ている。
僕がクズと呼ばれて笑いをとっていることが、どこかでいじめに繫がっているかもしれない。そんな葛藤が僕の中には常にある。もし、人を馬鹿にする笑いがこの世からなくなったとしたら、いじめも少なくなるんだろうか。そんなふうに考えると、自分のしていることがいじめを助長していると思ってしまうこともある。
言ってしまえば「ナダルに似ている」と他人から悪口のように言われた人もきっとどこかにはいるはずで、そういう人のことを思うと、いたたまれないような気持ちになってしまう。誰かを笑わせたいという気持ちから始めたお笑いで、誰かが笑いものになる。そんなことを考えたところでお笑い芸人をやめるつもりはないけれど、お笑い芸人になれたことを手放しで喜んでいるかと問われると、割り切れない気持ちもあるのだ。
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