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「お笑いが人を傷つけてしまう可能性はないとは言い切れない」芸人・ナダルが考えた“いじめとイジリの境界線”

『いい人でいる必要なんてない』より #1

2022/05/08

 実は中学生時代は“いじめられっ子”だったナダルさん。その後、芸人として活躍するうちに、「お笑いが人を傷つけてしまう可能性はないとは言い切れない」という考えに至った理由とは?

 新刊『いい人でいる必要なんてない』より一部抜粋。「いじめとイジリ」の境界線が見えてきた。(全2回の1回目/後編を読む)

ナダルが考えた「いじめとイジリ」の境界線とは?(写真提供:KADOKAWA)

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「クズ芸人」のレッテルを貼られて

 僕がクズ芸人というレッテルを貼られて、それが笑いに繫がるのは、僕が芸人だからだ。クズという言葉は本来は相手を罵倒するフレーズであり、一般の人たちが相手をクズだと罵ったら、そこに生まれるのは笑いではなく怒りや悲しみだろう。

 僕は中学生の頃にいじめられていた。かなりひどいいじめにあっていた。そんな僕が芸人になってクズと呼ばれている姿は、まわりの人たちの目にはどんなふうに映っているのか、と考えることもある。

 お笑いにおける「イジリ」はいじめとは違う。僕がほかの芸人からクズと言われることはいじめではなく「イジリ」だ。芸人同士の「イジリ」は笑いを生み出す。

 でも、お笑いとは関係ない一般の社会で生きる人たちにとって「イジリ」はいじめに繫がることもある。

 お笑い芸人たちは笑いのプロフェッショナルであり、見ている人には伝わりにくいかもしれないが、イジる側もイジられる側もかなり細かいところまで考えてやっていることは分かってほしいと思う。

 テレビという見えるところではイジり倒したとしても、一緒にご飯に行ったり相談を聞いてもらったりする関係値があって、それぞれにフォローしているのが常だ。

 しかし、こんなことを書いてしまうと、お笑い芸人としてどうなのかという葛藤もある。なぜなら、そういう裏側を見せずに見ている相手を楽しませるのが芸人の資質みたいに思われているからだ。

 裏側を語らないのが芸人、みたいなプロ意識を持っている人からしたら、僕の話は営業妨害もいいところ。だけど、いじめと一緒にされたくないという気持ちは、いじめを経験してきた僕だからこそ知っておいてほしいと思ってしまう。