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「共産主義のスパイではないか」と言われ…ロシアとの住民交流を推し進めた“北陸の元町長”が打った最後の一手

「共産主義のスパイではないか」と言われ…ロシアとの住民交流を推し進めた“北陸の元町長”が打った最後の一手

岐路に立つ“ロシア交流” #2

2022/05/19

genre : 社会, 国際, 歴史

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 親善協会の高田理事長も「旧ソ連時代は、シェレホフ市から訪問客があると、警察の尾行が付きました。私も公安委員会に呼び出されて、金沢まで説明に行ったことがあります。ロシアになってからは、そういうことはなくなりましたが」と苦笑する。

シェレホフ市に建設された墓碑

 森元町長は両自治体の交流が永遠となるよう願いを込めて「最後の一手」を打つ。自らの死後、シェレホフ市民墓地に分骨してほしいと願ったのだ。

 高田理事長は森元町長に「皆さんが私の墓参りにシェレホフを訪れ、市民との交流を永遠に続けてほしい」と言われたことがある。

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 驚いたのはシェレホフ市だ。「最初は冗談だろうと思っていました」とブシマキンさんは語る。だが、意志が固いと見るや、森元町長の存命中に墓地予定地を決め、同市を訪問した森元町長を案内して「ここでいかがでしょうか」と了解を取った。

シェレホフ市民墓地に森茂喜・元根上町長の墓ができ、分骨の納骨式が行われた時には、周囲を市民が埋め尽くした
イルクーツクで森喜朗・元首相と会談した後、プーチン大統領はわざわざシェレホフ市を訪れて、森茂喜・元根上町長の分骨墓に参った。後方には森元首相や同行した小池百合子・東京都知事(当時は衆議院議員)の姿が見える

 森元町長は1989年に亡くなった。シェレホフ市は遺影入りの墓碑を建設し、ロシア語と日本語で「友情と平和」と刻んだ。翌90年に旧根上町から遺族ら関係者を招いて納骨した時には、イルクーツク市にあるロシア正教のシベリア総本山で追悼のミサが特別に営まれた。墓地での式典には周囲を埋めつくすほど市民が訪れ、遺族ら日本の関係者を驚かせたという。

約60年かけて住民交流を積み上げてきたが……

 ブシマキンさんは「シェレホフ市には能美市の展示コーナーがあるだけでなく、学校で教えているので、森元町長のことを知らない市民はいません」と断言する。

 だが、ロシアのウクライナ侵攻で、日本国内の世論は一変した。これまで約60年もかけて積み上げてきた住民交流にも影が差している。

 高田理事長は「一人ひとりのロシア人は素朴なのに、政治にはかつてロシア帝国だった頃からの流れがあるようです。中国もそうですが、大陸で領土のやり取りをしてきた国には、皇帝のような政治的リーダーが出現しやすいのでしょうか」と首をひねる。

「森元町長が生きていたら、どう思うでしょう。戦争だけは絶対にいかんと言うだろうな」と噛みしめるように話していた。

撮影=葉上太郎

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