文春オンライン
「展示室を開いていいのか」シベリアの都市と友好締結してから46年…“ロシアとの友情”を深めてきた自治体の苦悩

「展示室を開いていいのか」シベリアの都市と友好締結してから46年…“ロシアとの友情”を深めてきた自治体の苦悩

岐路に立つ“ロシア交流” #1

2022/05/19

genre : 社会, 国際, 歴史

note

 ロシアのウクライナ侵攻に衝撃を受け、悲しみ、困惑している自治体がある。ロシア国内の市などと友好都市の締結をして、交流を深めてきたからだ。

 その数、計43。内訳は11都道府県、28市、4町村である。

 自治体交流は政府の外交とは異なり、住民同士の顔の見える交わりが基本とされている。国家間の利害や思惑を超えて、人と人との率直な付き合いを深めるのが真髄だ。(全3回の1回目/#2に続く

ADVERTISEMENT

石川県能美市が抱える“苦悩”

 とは言っても、国同士の争いや騒乱に影響される部分が大きい。特に、ロシア軍の非道な蛮行が連日報じられる状況にあっては、なおさらだろう。

 在日ウクライナ大使館も、一時はロシア国内の自治体と交流しないよう、日本の自治体に呼び掛けた(「行き過ぎたお願いだったかもしれない」として後に撤回)。

 自治体側は東京都の小池百合子知事が他に先駆けてモスクワ市との交流停止を発表した。ただ、都がモスクワと「断交」しても、都民生活への影響はなく、関心を持つ人も少ない。これまでの交流がいかに希薄だったかの裏返しだろう。

ロシアの自治体と親密に交流してきた石川県能美市。発端となった森茂喜・元根上町長が住んだ家には、シェレホフ市・イルクーツク市との「友好の館」という看板が掛けられている

 一方、住民同士が付き合いを深めてきた自治体ほど苦悩している。「様々な意見が出ている中で、今後の交流をどうしていけばいいのか」と悩む職員もいる。

 そうした地区で、人々はどう考えているのか。国内で最も親密なロシア交流を続けてきた石川県能美(のみ)市を訪れた。

なぜシベリアの市と友好都市に?

 能美市は、石川県南部の日本海に面した自治体だ。野球の元メジャーリーガー・松井秀喜さんや、森喜朗・元首相の故郷として知られている。もとからあった市ではなく、2005年の平成大合併で、能美郡の根上(ねあがり)町、寺井町、辰口町の3町が一緒になってできた。

 このうち、海外の自治体と友好締結をして交流していたのは旧根上町だけで、相手はロシアのシベリアにあるシェレホフ市だ。この唯一の都市交流が新市に引き継がれて現在に至っている。

 両市の付き合いは長い。森元首相の父で、旧根上町長を9期務めた森茂喜さん(1910~89年)が、平和への思いを実現するため住民同士を友情で結ぼうと考えた。

アルヒーポワ・シェレホフ市長と歓談する森茂喜・元根上町長。2人は気が合っていた

 発端は1960年にさかのぼる。1953年に就任した森元町長は、当時のソビエト連邦を初めて訪問した。モスクワ市で「日本産業見本市」が開かれ、日本から派遣された経済視察団員の1人として海を渡ったのだ。

 まだ、1956年に国交が回復されたばかりという時期だった。折り悪しく1960年に岸信介内閣が日米安保条約を改定し、日ソ関係は悪化していた。それでも森元町長は約1カ月にわたってソ連各地を巡った。