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 それまでロシア語に対する知識はなかった。が、中学生の使節団派遣事業を担当していた教育総務課に配属され、最も若い職員だったことから、上司に「やってみないか」と勧められた。20代半ばだった。

 まずは石川県金沢市の県国際交流協会が行っているロシア語の初級講座に約1年間通った。そのうえで2011年4月から5カ月間、北海道函館市にあるロシア極東連邦総合大学の函館校で学んだ。

ロシア語が堪能な職員も採用

 同大学はウラジオストクに本校があり、ロシアの大学としては唯一日本国内で教育をしている。「2年制と4年制があり、当時の教官は日本人1人を除いて全員がロシア人でした」と中村さんは振り返る。

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 中村さんが受講したのは、能美市の求めに応じて大学が設けた特別コースで、マンツーマンでロシア語を詰め込まれた。

「入学時は自分の名前が言える程度でしかなかったので、授業は本当に大変でした。担当教官は教育に対して非常に厳しく、鬼のようだと感じたこともあります。自分ができないことが悔しくて、何度も何度も涙を流しました。

 ただ、授業を離れると包容力があって優しく、『どんなに忙しくても散歩をしなさい』と教えられました。授業で辛そうな顔をしていたら、外に連れ出して会話の授業をしてくれたこともあります。日本にはあり得ないタイプで、世界にはいろんな人がいて、様々な考え方があるのだなと知りました」

1984年に訪ソした根上中学校の生徒の記念碑。ロシア語で書かれている

 短期間の派遣でしかなく、能美市に帰ってからは日常的に話す場がないので、語学力を維持するのは大変だ。「会話となると難しいですが、なんとか読めるようにはしています」と中村さんは言う。

 その後、ロシア語が堪能な職員も採用され、能美市役所にはロシア語ができる職員が2人もいる。人口約5万人の市の人材としては異例の豊富さだろう。それだけシェレホフ市との交流に熱を入れてきた証拠である。

そしてウクライナ侵攻が始まった

 シェレホフ市との交流では、今も様々な事業を行っている。

 最大のイベントは「ロシア風新年会」だ。

 4歳から小学生を対象に、遊びを通してロシアを知る催しで、新年会とはいうものの、毎年12月に催す。ロシア版のサンタクロースの「デド・モローズ」(寒さおじいさん)が会場に姿を見せ、ロシアのゲームをしたり、スイーツを作って食べたりする。100人の定員は毎年いっぱいになるほど盛況だ。

 シェレホフ市からは美術学校に通う子らから年賀状が送られてくる。今年は38通が届き、日本の干支の寅や雪だるまが見事な筆で描かれていた。これらは図書館で能美市民に展示された。返信は能美市内の3中学校の希望者がやはり絵を描いて船便で送った。

シェレホフ市の子供達から送られた年賀状。日本は今年、寅年だというのを知っていて、多くの子がトラの絵を描いていた

 コロナ禍で行き交えない分、オンラインも活用している。双方の親善協会員らが語り合うイベントや、両市で柔道を習う子が技を披露し合う催しも行った。能美市は九谷焼の産地で、下絵に塗り絵をするコンテストを毎年行っている。これにはシェレホフ市のみならず、ロシアの各地からも多数の応募がある。

 ところが、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。