3月16日深夜に発生した福島県沖を震源とする地震。最も揺れの大きい震度6強を観測した同県相馬市では、立谷(たちや)秀清市長(70)が発災直後に自宅の倒壊物で部屋から一時出られなくなった。力任せに取り除き、埃まみれになったダウンジャケットをパジャマに羽織って市役所へ駆けつけたという。

 東日本大震災以降、同市では地震や台風などの被害が相次ぎ、全国で最も多くの大規模災害に遭ってきた自治体と言っていいだろう。そうした経験豊富な市長でさえ、自然災害では思いも寄らぬ事態に遭遇する。あの日、立谷市長はどう動いたのか。(全2回の1回目/後編に続く

潰れてしまった建築物(相馬市で撮影。立谷市長宅とは別)。

1回目の地震で辺りは真っ暗に

 3月16日午後11時34分、風呂から上がった立谷市長はパジャマに着替え、首に白いタオルをまいて、書斎でパソコンを見ていた。

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 いきなり激しい上下動が襲う。すぐに電気が切れた。携帯電話の緊急地震速報が鳴ったのは、揺れが始まった後か同時だったようだ。

「すぐに市役所に駆けつけないと」と思ったが、辺りは真っ暗で見えなかった。

 常備していた懐中電灯は、揺れでどこに行ったか分からない。「常に自分の手許に置いておかないとダメだな」と思ったが、探そうにも探せなかった。

立谷秀清・相馬市長。市長執務室で。

 不幸中の幸いと言うべきか、スマートホンは机の上から動いていなかった。電源ボタンを押し、ほのかな明かりを頼りに出口へ向かう。スマホには懐中電灯の機能が備わっているが、「使ったことがなかったので、画面のぼんやりとした明かりしかありませんでした」と話す。

 周囲では本棚などありとあらゆる家具が倒れ、物が散乱しているようだった。おそらく踏み越えて歩いたのだろう。

壁からはがれ落ちた石膏ボード

 出口の引き戸に手を掛けようとして、「あれっ」と驚いた。戸があるはずの場所に、大きな板が立ちはだかっていた。これが、壁からはがれ落ちた石膏(せっこう)ボードだと分かるのは翌日のことだ。

「なんで、こんな所に板があるのか」と、いぶかりながら動かそうとしたが重い。力任せに取り除くしかなかった。

 ようやく手をかけた引き戸もなかなか開かなかったので、これも力任せに開けて、部屋から脱出した。

 ちょうど、風呂に入っていた妻が手探りで体を拭いて上がってきたところだった。ようやく懐中電灯を見つけて、妻が服を着るのを照らしていたら、2度目の地震に襲われた。