福島県沖を震源とする地震が3月16日の深夜に起きた。このエリアでは約1年前の2021年2月13日深夜にも地震が発生したが、双方には共通点がある。震度6強を観測し、最も激しく揺れた地区がほぼ同じだったのだ。

 1年前は福島県と宮城県の1市3町。今回は両県の3市2町。このうち福島県相馬市と国見町、宮城県蔵王町の1市2町では、2年続けて震度6強の烈震に見舞われた。「ようやく家を修理したばかりなのに、毎年被災するようではもう住んでいられない」という声が住民の間から漏れる。被災に次ぐ被災で心のダメージは大きい。(全2回の2回目/前編から続く

屋根瓦が散乱し、ブロック塀も倒壊した家。

「毎年のように大災害が起きる」

「東日本大震災が起きるまで、それほど大きな災害はありませんでした。なのに最近は毎年のように大災害が起きるようになってしまって……」

ADVERTISEMENT

 福島県相馬市で釣具店を経営している土屋敏さん(56)が、自宅の屋根を見上げながら、ため息をついていた。屋根瓦が落ちて痛々しい。

 松川浦という風光明媚な潟湖に面した地区である。漁師が多く住み、水産加工会社や新鮮な魚料理が自慢の宿がいくつもあった。

 だが、一帯は2011年3月11日の東日本大震災で津波にのまれ、多くの家が壊滅的な被害に遭った。土屋さん宅は少し高い土地にあったので、床が浸水した程度で済んだ。

玄関が閉まらなくなった土屋敏さん宅。

「震災の後で測ってもらったら、地震で家は5mmしかずれていないという話でした。去年の地震では、もう少し被害が大きく、家に多少のヒビが入って、瓦が何枚かずれました。屋内ではふすまが動かなくなったのですが、それでも直してもらえば住めました」

余震でさらに壊れる可能性も

 しかし、今回は被害のレベルが違った。

「瓦が大量に落ちてしまいました。ブルーシートを掛けようにも、素人では屋根に上がれません。なのに昨日は雨が降り、酷い雨漏りに見舞われました。外からだと分かりませんが、屋内では壁が落ちたり割れたりしていて、階段もずれています。玄関の戸は閉まらないし、家の柱も基礎から浮いた状態です。これをどこまで直せるか。今のままでは余震でさらに壊れないとも限りません」

落ちた歩道橋。

 土屋さんはこの10年あまり、災害に翻弄され続けてきた。

「以前は釣具店としてすごく流行っていたんですよ」と、誇らしげに語る。

 ところが、震災による津波と原発事故が運命を変えた。