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「毎年のように大災害」「もう疲れてしまった」2年連続の震度6強でボロボロに…福島県相馬市の“過酷すぎる実態”

福島県沖地震の現場 #2

2022/03/22
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思い出の詰まった実家「壊すしかない」

 2階には仕事や結婚で家を離れた兄と妹の荷物があった。運び出そうとしているうちに雨漏りが酷くなり、家の中か外か分からないような状態になった。「カーペットには水たまりができていました」。

 取材で訪れた時には、急いで運び出した荷物の整理を行っていた。この中に雅弘さんの荷物はない。近くの婿入り先へ持って行ったからだ。だが、11年前の津波で家ごと流され、全てを失った。仮設住宅で暮らした後、津波の来ない内陸部に土地を求めて家を建てている。

壁が落ち、サッシが割れてブルーシートを外から打ちつけた木村敏美さん宅。

 そんな雅弘さんにとって、実家は特別な場所だ。

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「いつもは父母が2人で住んでいます。2歳上の兄貴が赤ちゃんの時に建てられたので、僕らの思い出がいっぱい詰まっていました。でも、もう住めません。壊すしかないでしょう。雨漏りだけでなく、柱も割れてて、隙間もできています。戸も動かなくなったり、蹴飛ばさないと開かなかったりした場所があり、かろうじて残っている瓦もいつまた余震で落ちるか分かりません」

津波、原発事故、相次ぐ地震……

 片づけには長男の郵便局勤務、智弘さん(41)も来ていた。

 智弘さんは配属先の都合で、同じ福島県の太平洋岸でも南端のいわき市に住んでいる。同市は震度5強。被災はしたものの、被害はそこまで酷くはなかった。

「父母が心配で職場を休ませてもらおうと思ったのですが、要員不足で急には休みが取れませんでした。ところが弟から実家の写真が携帯に送られてきて、あまりに酷い状態に仕事が手につかなくなりました。無理を言って休みを取り、実際の惨状を目の当たりにしてさらに驚きました」と、智弘さんはショックを隠せない様子だ。

「震災以降、両親と同居しようと転勤願いをずっと出し続けてきましたが、実現しないまま地震に遭いました。とりあえず両親が住むところをどうにかしなければなりません。私が同居して家を建て直せばいいのですが、急には転勤できないでしょう。さて、どうしたものか」と頭を抱える。

雨が上がったあともポチャポチャと滴りが止まらない。地震で被災したのに、水害に遭ったかのようだ。木村敏美さん宅の2階。

「この辺りには、同じように子供が独立し、高齢者だけで住んでいる家が多くあります。そうした世帯が軒並み被災してしまいました。去年の地震で直したばかりなのに、また被災した事業所もあるようです。果たして皆、再建できるでしょうか」。2人は不安そうだった。

 津波、原発事故、相次ぐ地震……。直した家がまた被災したという人が少なくない。