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「週刊誌に交友関係なんて書かれたら大変だ」

〈中学3年生になると、神戸市北区大池の一戸建てに引っ越す。団地生活が長かった上島さんは念願の一人部屋を満喫し、役者への夢をさらに募らせていく。〉

 中古住宅だけど、1階に居間、食堂、六畳と四畳半の部屋が、2階には俺と弟の部屋がありました。庭も広く、トイレ付きのプレハブが置けたくらい。そこは月1で遊びに来ていたおばあちゃんのための離れで、おばあちゃんは丹波篠山でお稲荷さんの祈祷みたいなのをやって先生と呼ばれていました。いろいろ相談を受けていて、近所の奥さんが「石油を舐めてしまって」と赤ちゃんを連れてきた時は、あせっているお母さんに向かって真顔で「病院に行きなさい」と答えていて、「祈祷しないのかよ!」と思ったね。

これまでの人生を熱く語る上島さん

 自分の部屋では、ノートを開いて「脚本でも書くか」なんてカッコつけていました。もちろんノートは真っ白(笑)。妄想映画ポスター作りに一生懸命になっていたのもこの頃です。駅に貼られていた高倉健さん主演の『八甲田山』(77)のポスターを貰ってきて、健さんの写真の上に自分の証明写真を貼り重ねて、あたかも俺の主演作にしたのが第一号。手帳には、スターになった自分の架空の予定を書いていました。黒柳徹子さんとゲストの俺の2役を演じる、『ひとり徹子の部屋』もやっていたな。

〈高校は、私立神戸村野工業高等学校普通科に入学。一転、それまでの道化師的キャラを封印する。〉

 当時は不良っぽい生徒の多い学校でね。ドラマ『西遊記』で西田敏行さんが人気の頃で、似ているってよく言われたんですよ。そこはおどけてものまねすべきだろうけど絶対にしなかった。「将来、俺は役者になって有名になる。だから仲の良かった友達が怖い人になって、週刊誌に交友関係なんて書かれたら大変だ」と本気で思っていたから。結局、芸人になって西田さんのものまねをするんですが(笑)。

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 そのなかで親友になった後谷君だけには、東京で役者になると打ち明けました。「やった方がええよ」と本気で応援してくれて励みになりました。

(取材・構成 平田裕介)

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