5月11日、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」のメンバーの上島竜兵さん(61)が東京都中野区の自宅で亡くなっていたことが分かった。

 世代を超えて、多くのファンに愛された上島さん。当初の夢は俳優になることだったという。俳優への憧れ、上京時の苦難、ダチョウ倶楽部結成秘話、故・志村けんさんとの思い出を語った「週刊文春」の記事を公開する。(初出:週刊文春 2018年3月8日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

〈全2回の1回目。後編・八畳一間1万8000円の部屋からのスタート、悩む上島に志村けんは言った「本当に好きなのは…」 を読む〉

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「この道に進んだのは完全に親父の血」

 文庫本の巻末にある新刊案内を見て、映画にぴったり合いそうな題名の本を選ぶんです。たとえば『蝙蝠(こうもり)たちの夜』という新刊があったら、俺の主演作として勝手に脳内で映画化しちゃう。想像だけでは物足りず、ポスターも自作してね。中学から高校にかけて、そんな妄想映画ポスターを100枚以上作ったけど、19歳で上京する時に庭ですべて燃やしました。役者になって現実にするという決意表明ですよ。

〈流行語大賞大衆語銀賞(93年)に輝いた「聞いてないよ~」や帽子を回転させて被り直す「クルリンパ」などのギャグ、熱湯風呂をはじめとする体を張ったリアクション芸などでお馴染みのダチョウ倶楽部の上島竜兵さんは、1961年、兵庫県丹波市に生まれた。〉

ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん

 記憶があるのは、神戸市兵庫区鵯越(ひよどりごえ)の文化住宅に越した、2、3歳からですね。夏は、団地の中にある公園の水飲み場で水浴びしたり、親戚が営む銭湯に通ったりしていたので、風呂はなかったはず。トイレは汲み取り式で壁も土壁だった。六畳と四畳半の部屋が縦に並び、三畳くらいの台所が付いた、よくあった文化住宅の間取りです。海の近くでもないのに、お袋が大量のシャコを塩茹でにしてくれて。それを2つ下の弟とむしゃむしゃと食べていたのをよく覚えています。

 親父は住宅設備メーカーのノーリツに勤めるサラリーマン。酒ぐせも良くないのに、外に女性を作ったりして、お袋は苦労していたね。でも、この道に進んだのは完全に親父の血です。芸事が大好きで、めでたい席では率先して謡曲の「高砂」を謡ったりしてね。お酒好きなのも似ている。