日本の伝統芸能「能楽」とは、能と狂言を合わせて言う言葉である。野村萬斎さんは狂言方の後継ぎとして生まれ育ち、今では映画やテレビでも活躍する人気俳優となった。
ここでは、明治大学大学院講師であり、横浜能楽堂の芸術監督でもある中村雅之さんの著書『野村萬斎』(新潮新書)より一部を抜粋。ドラマや映画で萬斎さんが演じた数々の役に共通する狂言の演技術とは、一体どのようなものだろうか。(全2回の1回目/後編を読む)
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エイスケさん
萬斎が爆発的人気を得たのは、平成9(1997)年に放送されたNHK連続テレビ小説「あぐり」によってだった。
「あぐり」は、作家・吉行淳之介の母で、長年、東京で美容院を経営していた吉行あぐりをモデルにした一代記。萬斎は、あぐりの夫で、前衛的な小説を残した流行作家の「エイスケさん」を演じた。大正時代から昭和初期にかけて、東京という大都会で、奔放に生きた「エイスケさん」とはこんな人物だったのだろうと納得させるような萬斎の軽妙洒脱な演技は大きな人気を呼んだ。
萬斎は、普段は観客に解釈を押し付けないように演じているとした上で、「対極にあるのがテレビドラマですかね。私はこういう人間ですとワーッとやった者勝ちになる。それを自分が一番やったのが、『あぐり』のエイスケさんだったと思います」と語っている(『狂言三人三様野村萬斎の巻』)。
視聴者からは、演技に対する評価ではなく、「エイスケさん」というキャラクターが気に入っているという声が多く「エイスケさん」と萬斎を同一視しているようだった。萬斎としては技術に注目して欲しかったのだが、それを感じさせない程、自然に見えたのだ。
萬斎はこの作品で「橋田賞新人賞」と「エランドール賞特別賞」を受賞した。「橋田賞」は、脚本家の橋田壽賀子が創設した賞で、テレビ文化に貢献した番組や個人に贈られる。萬斎の受賞理由には「颯爽と、また飄々とした雰囲気と豪胆でいて繊細な演技には既存の俳優にはない独特の存在感がある。動と静を同時に表現できる俳優として今後大いに期待できる」とあった。
「エランドール賞」は、日本映画テレビプロデューサー協会が制定した賞で、「特別賞」は、その年度に顕著な実績があった個人を対象としている。萬斎の受賞理由は「ヒロインの夫エイスケの半生を軽妙かつ爽やかに演じて全国の視聴者にエイスケ旋風を巻き起こすとともにドラマの成功に絶大な貢献」をしたというものだった。