自衛官でいたときはもちろん、今も思っていることは、そういう緊張を抱かない日々のほうがとても健全だということで、実際自衛官時代に何かしらの特別勤務についていたとき、何もないことを常に願っていた。駐屯地の営門でトラブルを起こす極左または極右、巨大な災害、戦争、航空機の事故。何もかもが起きてほしくなかった。この「起きてほしくない」という心情は、しかし平和や安心を心から希求するというところからのものではなく、公安職という職業柄、それらが起きたならば直ちに何かしらの義務が発生するという負担を忌避するという、どちらかといえばとても消極的な気持ちが出発だった。語弊があるかもしれないが、面倒だったといってもいいかもしれない。そしてこの心情は、先のとおり警備や災害派遣やその他諸々の勤務についていないときにも日々の営みに底流として存在していた。緊張が、一種の波形として生活の一部に常に横たわっていた。勤務がなければ、その波は微弱になり、勤務日であれば張り詰めるといったように。
傍観者であることへの自己嫌悪
苛立ちは、対岸にいる者として、評論家として、一生活者としてそういう事態を眺めている、又はどこか興奮気味に伝えているという事実によってより強くなる。「現地に日本人の被害者がいるという情報は入っておりません」と伝えるキャスターの声音のバックに、自動車爆弾の映像やロケット砲がビルに撃ち込まれる映像や航空機の残骸や火山の噴火の映像が流れるという、そういう興奮だ。何かに備えて待ち構えているということの当事者性と、何かを漫然と待ち望んでいることの傍観者性とが、同じ淡々と営まれる日々の中に対立的に見えるときがあって、言うまでもなく私は後者の傍観者性に嫌悪感を覚え、それでいて自分もそちら側の一員であることを見つけて自己嫌悪に陥る。それゆえの苛立ちだ。
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作家・砂川文次氏の緊急寄稿「ウクライナ義勇兵を考えた私」は「文藝春秋」2022年6月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
ウクライナ義勇兵を考えた私
【文藝春秋 目次】ウクライナ義勇兵を考えた私 芥川賞 砂川文次/日米同盟vs.中・露・北朝鮮/老人よ、電気を消して「貧幸」に戻ろう! 倉本 聰
2022年6月号
2022年5月10日 発売
特別価格1000円(税込)