「私は在日ウクライナ大使館のHPを開き、メールを送った」。戦争、国家、平和──「文藝春秋」2022年6月号より、自衛隊出身の新芥川賞作家・砂川文次氏の緊急寄稿「ウクライナ義勇兵を考えた私」を一部転載します。
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約70名の日本人が義勇兵に志願
二月二七日、ウクライナ・ゼレンスキー大統領は、ロシアと戦うために世界中から志願兵を募集し、外国人部隊を編制すると発表した。
私は、七歳の息子と三歳の娘を寝かしつけ、翌朝のアラームを携帯でセットしている最中に、ポップアップ表示されたニュースでこれを知った。
その時、一体どういう心境だったのかは分からない。私は布団の中から、在日ウクライナ大使館のHPを開き、メールを送った。拙い英文で、参加要領を確認したいということ、簡易ながら自衛隊歴を記した。
三月一日の報道発表によると、約七〇名の日本人がこの義勇兵に志願し、うち約五〇名が元自衛官だったという。私がその五〇名の中に含まれているかは分からない。政府はこの件を受けて渡航自粛を改めて呼びかけ、在日ウクライナ大使館からの募兵も立ち消えた。ウクライナ大使館からの返事は未だにない。
メールを送ってから、動悸が激しくなった。戦いたいのか? 分からない。人を殺したいのか? 嫌だ。本当に国を出るつもりか? 分からない。殺されたいのか? 嫌だ。世界は変わった? 分からない。
記憶はあやふやだ。新型コロナウイルスの前と後とを想起して比較しようと試みるも、なぜか確実にパンデミックよりも前の年月における記憶であるにも拘わらず、そこにはマスクやアクリルパーテーションが映りこんでいたり、その反対に、確実にパンデミック後の出来事であるのに、それら感染症蔓延の代名詞ともいえるようなものが一切合切取り払われていたりする。だからというべきなのか、ひところからよく目にするようになった「新型コロナウイルスは世界を変えたのか」という問いや、「アフター・コロナ」、「ビフォア・コロナ」という文言は、私にとっては引っかかりや疑問というよりも、記憶同様曖昧模糊としていて、手触りのないものだった。年中鼻炎があってマスク生活はその前からしていたし、生来の人付き合いの悪さから宴会やなんやかんやで大勢の人と会うのは年に一度か二度、遠出も家族とのみで、一人で遠出をするときも公共交通機関ではなく専らグラベルバイク(ロードバイクの亜種)かクロスバイクだ。
芥川賞を受賞してから、若干身辺が騒々しくなりはしたが、それも一時のことで、ひと月も経てばほとんどいつもと変わらない毎日が戻ってきた。
少し早くに起きる、読み書きをする、家のことをして仕事をして、極力個人的な友人や知人との関係は深入りはせず、細々とした小さな生活圏を維持する。小さければ小さい分だけ密度と強度が上がった気がする。それを証明する手立てというべきか否かは定かではないけれども、世界的なパンデミックや緊急事態宣言は、私の生活にほとんど影響を与えなかったと言っていい。ひょっとすると、自衛隊から転職をして一生活者として東京にやってきてこの方、私の生活は常に緊急事態宣言下と同質の生活様式だったのかもしれない。