文春オンライン

2022/06/05

国民の反感を買った「小室家の金銭トラブル」

 現在は皇族であっても、さまざまな人に出会うのが普通になっている。皇族の結婚相手が社会のヒエラルキーの下層へ広がっていけば、自由な恋愛を認めている社会である以上はだれと交際するかは予測がつかない。それがたまたま小室さんだっただけのことなのだが、おそらく国民的感覚からすれば、小室圭さんという人間性も含め、その経歴や生活環境が皇族の伴侶として許容できるレベルから逸脱していたのだろう。そのことを知ったとき、裏切られたと感じたのかもしれない。

 すべての国民は法の下で平等であることは言うまでもないが、その一方で、国民は潜在的に皇族だけは別格と思っている。ある意味で皇族は「国旗」のような存在だから、貧相で問題を抱えていたら困るというわけだ。

 小室さんは、国民がイメージする皇族の「品格」のようなものからかなりかけ離れていた。その主な原因は母親の「金銭トラブル」にあるのだが、考えてみれば、成人した小室さんと母親はそれぞれ独立しているのだから無関係のはずだが、こと皇室に関してはそういうことは受け入れられないようだ。「金銭トラブル」が次々と報じられるようになっても、「借金して返さず、納得できる説明もない」というわけで、母親が悪の主役のようになって、批判がおさまらなくなってしまった。

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 私たちよりレベルが下のあんな家族が、皇族の一員になろうとしているなんて信じられない!というわけである。小室さんが嫌いというわけではない。自分たちと同じような人が、雲の上のような皇族と結婚することが許せないのかもしれない。世の中にはシンデレラ物語の逆バージョンでも拍手喝采で迎えられる人もいるが、どうも内親王が相手ではそういうわけにはいかないようだ。

「今の世の中、こんな母親も小室さんのような青年も掃いて捨てるほどいます。それに、批判の中心になっている小室家の金銭トラブルは、母・佳代さんの問題であって、息子の小室圭さんが借金したわけではありません。なぜ親の借金で子どもが縛られなければならないか。なんだか、坊主憎けりゃ袈裟まで、といわんばかりですね」と、ある社会派ジャーナリストは憤慨していたが、そんな正論は通らなかった。

 よしんば小室さんが品位のない男だとしても、その男を伴侶として選んだのは大人の眞子さん自身であり、結婚はあくまでふたりの意思で決めたことだ。それを、近所のおじさんおばさんにすぎない人たちが、一億総小姑のように非難するのはどうしてだろう。

 ある皇室関係者は、「プライバシーを暴かれたうえ、金目当てだのなんだのと叩かれて、万が一、小室さん母子が自殺でもしたら、メディアはどう責任を取るのだろう」と心配していたが、さいわい繊細な母親でなくてよかったといえる。

 かつての田中角栄元首相も極貧の生活から総理大臣まで上り詰め、これに対して上流階級は「成り上がり者」と非難したが、逆に庶民は「今太閤」と呼んでたたえた。ところが、小室さんの場合は、上も下も批判の大合唱なのである。