『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』(井上荒野 著)朝日新聞出版

「加害者にも善い部分はある」。なにか世の中を騒がせる事件が起きたとき、そういった情に基づいた報道がなされることは多い。

 だがそれは、ある意味では当たり前のことなのだ。なぜなら、加害者は「化物」ではなく「人間」だから。完璧な善人と同様、完璧な悪人など存在しない。私たちが学ぶべきは、「誰もが加害者になり得る」という事実なのだ。

 この物語は「現場」とは離れた場所から幕をあける。

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 動物病院に看護師として勤めている咲歩は、患畜の飼い主が持っていたスポーツ新聞の記事のなかに、かつて自分が受講していた小説講座の人気講師・月島の写真があるのを見つける。気分が悪くなり、人知れずトイレで吐く咲歩。そこから視点人物が入れ替わり、章ごとに時系列を行きつ戻りつしながら、「ハラスメント」の面妖な実態が少しずつ明らかにされていく。

 物を書くのが好きだった咲歩は、7年前に受講した講座で月島に才能を見込まれ、教室で特別扱いを受けていた。最初は認められることが嬉しかったものの、上から距離を詰めながら、一方的に呼び出しの電話をかけてきたり、同意なく肌に触れてきたりする月島に対し、いつしか恐怖と嫌悪感を抱くように。だが一度できあがった「師弟」の磁場から逃れるのは難しい。実際、月島は小説を読む目は確かなのだ。結果的に体の関係を持たされることになった咲歩は、あるときから講座に出られなくなり、そのまま消える。

 月島にしてみればそこで終わっている関係だ。だから7年経ってようやく語る言葉を得た咲歩から「被害」を告発されたとき、ただただ混乱するしかない。でも咲歩はその間、膿み続ける傷をずっと抱え続けてきたのだ――誰にも言えず、ひとりぼっちで。そこにある埋めがたいギャップが、ハラスメントに対する理解をますます困難にしていく。

 加えて月島を取り巻く環境も彼の思い込みを助長する。例えば咲歩から相談を受けた古参の受講生は「えこひいき」される咲歩をうらやましがるだけで是非について考えない。別のカルチャーセンターでは「先生」の寵愛を受けるためにすすんでハラスメントに加担する受講生すらいる。自らの所属する空間への愛着や固執が、いつのまにか不合理を横行させ、二次被害を生んでしまうのだ。

「生皮」。それは本書の中で被害者が受けた略奪と暴力を表す際に用いられる言葉であると同時に、痛みと向き合い、自分自身を覗き込む過程においても用いられる。自分自身を覗き込む――それが必要なのは誰なのか? 剥がれた皮を見つめるべきはどちらなのか?

「誰もが加害者になり得る」。それは月島のみを指しているのではない。そういう場の誤った力学を見過ごしてきた私たちすべてに突きつけられている。

いのうえあれの/1961年生まれ。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞、11年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞受賞。

くらもとさおり/1979年生まれ。書評家。共同通信「デザインする文学」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」等が連載中。

生皮 あるセクシャルハラスメントの光景

井上 荒野

朝日新聞出版

2022年4月7日 発売