兵庫県尼崎市は、旧花街「かんなみ新地」一帯の土地建物を取得し、更地にしたのちに売却する計画を発表した。
「かんなみ新地」は昨年11月に尼崎市と兵庫県警尼崎南署から警告を受け、一斉閉店となっていた。以後は空き家状態が続いており、地域住民からは安全面や治安に関する不安の声があがっていた。
戦後間もない頃から、色街として栄えてきた「かんなみ新地」はなぜ終わりを迎えてるのか。その実態に迫った記事を再公開する。
(初出2021年12月5日、肩書き、年齢等は当時のまま)
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11月23日、ついに兵庫県尼崎市の風俗街「かんなみ新地」が、約70年の歴史に幕を下ろした。同月1日に尼崎市長と尼崎南警察署署長の連名で営業の中止を要請したことで、約30軒あった店は風俗営業を休止していたが、23日に「かんなみ新地組合」が解散した。すでに10店が廃業申請をしているというが、一部は一般の飲食店などとして営業を続けているという。
いま、かんなみ新地は一体どんな状況になっているのか。そもそもかんなみ新地とはどんな場所だったのか――。 “取材拒否の街”大阪市西成区の歓楽街「飛田新地」を12年かけて取材し、2011年に「さいごの色街 飛田」(筑摩書房・新潮文庫)を上梓したノンフィクションライターの井上理津子氏が現地入りし、その実態に迫った。
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夜、かんなみ新地を歩いていると、1軒だけ扉が少し開き、灯りがついている店があった。「え? え? 営業してるんですか」と、半歩入って訊ねると、「そうですよ、飲み屋としてね」と、カウンターの向こうから、シャネル風のジャケットを着た、おそらく50代の知的美人ママ。
「お酒とおつまみとセットで1000円。明朗会計ですよ」というので、ママとサシで話すことに。当たり障りないことを話していると、不意にママが「私、昔、現役やってんで」と言った。
「阪神淡路大震災後、女の子が若返った」ワケ
——昔っていつ?
「25年くらい前かな。かんなみは、自分で店を持って自分で働くっていうのが多かったから、私もそうやったの。阪神淡路大震災のあと、女の子がばあっと増えてきてね」
——えっ? 以前は経営者自身がお客を取って働いていたってこと?
「そうそう」
——全然知らなかった。独立独歩やったんや。阪神淡路大震災のあと、女の子が若返ったと聞いてました。
「そういう頃に1回目、来てん。100人体制」
——ん? 100人体制?
「元々は、自分でお家賃払って自分で仕事してっていうのが多かった、って言うたでしょ」
——う、うん。そうすると搾取の構造なし、言うこと?
「そらそうやんか。当たり前やんか。震災の後、若い女の子が入り出して、1軒が入れたら、このへんはがめついおばはんばっかりやから、『うちもうちも』となって」
——派手になっちゃった?
「そうそう。派手になって、夜通し営業するようになって……。そやから100人体制で警察がいっぺんにきてん。1軒の店に、警官が2人も3人もドヤドヤときた」
——うわ~。
「その時は1年くらいで復活したかな」
——どうやって復活したの?
「その時の組合長がよかったんちゃう? 警察と交渉とか、したんちゃうかな。警察から、『飲食店で営業届け出てるのに、看板も暖簾も出てないのはおかしい』と言われて、みんな暖簾を出しました」