「ベイルートに飛んでくれ」
「北村、杉田(和博)局長(のちに内閣官房副長官)には僕から了解を取るから、ベイルートに飛んでくれ。ここにいる好きな人間を連れていっていいから」〉
2月16日未明にベイルート入りした北村氏だが、「レバノン5」の身柄引き渡しにはいくつかの障害があった。
〈最大の問題は、我が国への引渡しについてレバノン政府内でコンセンサスが形成されていないことだった。
レバノンには、18の宗派が存在し、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派というように各宗派に政治権力が分配されてきた。また、隣国シリアは、1990年のレバノン内戦終結後も推定約1万4千人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきた。
当時のハリーリ首相は、レバノン内戦後の経済の復興を目指し、我が国との経済関係を重視しており、それが5人の身柄拘束に繋がった。同首相は2005年に暗殺されてしまうのだが、その背後にもシリアの影響力があると言われた。
こうした事実から推測できるように、レバノン政府内の親シリア勢力及び駐レバノンシリア軍事情報部長ガジカナーン(当時)は、当初、米国の同盟国である我が国に「レバノン5」を移送することに反対していた〉
即時の国外追放には至らず、5人はレバノンにおいて裁判にかけられることになった。2000年3月に引き渡しが実現するが、岡本の引き渡しは実現しなかった。
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6月10日発売の月刊「文藝春秋」7月号並びに「文藝春秋電子版」掲載の同連載で、北村氏は、タイにおけるよど号グループ・田中義三の身柄引き渡し交渉をはじめ、日本赤軍との長きにわたる闘いについて振り返っている。
日本赤軍との戦い