国際テロ組織「日本赤軍」の最高幹部を務めた重信房子元受刑者が、5月28日、20年の刑期を終え、出所した。日本赤軍をめぐっては世界各地で起こしたテロ事件に関与したとして、国際手配された7人のメンバーがいまだ逃亡を続けている。
月刊「文藝春秋」で連載中の「外事警察秘録」において、北村滋・前国家安全保障局長は重信氏について「私の官僚人生にも少なからぬ影響を及ぼした」存在としたうえで、次のように記す。
〈「重信房子さん生還―歓迎会」。手元にこんな催しを告知するビラがある。(中略)
1972年にメンバーがイスラエルの空港で引き起こしたテルアビブ・ロッド空港事件について、パレスチナの「解放闘争」であると正当化している。そして重信の罪状は「冤罪」だと主張。「謝罪」の意向を示している重信だが、こうした価値観の人々に迎えられ、社会復帰することになる〉
重信出所の2日後、日本赤軍メンバーで国際手配中の岡本公三が、前述のテルアビブ・ロッド空港事件の記念式典に姿を見せたが、同連載で北村氏は岡本を含む日本赤軍の身柄引き渡し交渉の内幕も明かしている。
1997年2月15日、国際手配中の日本赤軍メンバー5人(和光晴生、足立正生、山本万里子、戸平和夫、岡本。外事警察では「レバノン5(ファイブ)」と呼ぶ)が、一斉に拘束される。5人の中には、1972年の「テルアビブ・ロッド空港事件」実行犯の生き残りである岡本が含まれていた。
〈私は、米村外事課長と国際テロリズム対策室の大部屋にいた。前年外事課から警備企画課理事官に異動。局全体の庶務的な事務に当たっていたが、その当時は、当面、在ペルー日本大使公邸事件対応のバックアップを仕切っていた。しかし、米村課長からは手が空いているように見えたのであろうか。私にこう言った。