数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(61)こと不肖・宮嶋は2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、日本メディアのほとんどが現地入りを躊躇していた3月5日、ポーランドから陸路でウクライナ入りした。3月12日にはロシア軍が13キロまで迫っていたキーウへ。以降4月17日に出国するまで各地で取材を続けた。
(「こりゃ報道の神から見放されたわ」ウクライナ西部リビウに辿り着いたカメラマンが見た“戦時下の光景”)
5月中旬、不肖・宮嶋は再びウクライナへ。同国第2の都市ハルキウでは、ロシア軍が撤収したとされる現在でも砲声が止む様子はなかった。そして、不肖・宮嶋は3週間ぶりに首都キーウへ。そこで見えてきた「戦争の真実」とは?
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あまりの変わりように目が点に
不肖・宮嶋、いまだ銃声止まぬロシア国境に近いウクライナ東部ハルキウより3週間ぶりに首都キーウへの帰還である。
ロシア軍が 100日攻撃を続けても破壊できなかった鉄路を走る列車に揺られること8時間、新幹線並みとまではさすがにいかんが、空席が目立つも、快適な特急列車にてなんの不安もなく、ほぼ定刻通りにキーウ中央駅にすべりこんだ。
しかしターミナルを一歩出てその町のあまりの変わりように目が点になった。駅前サークルが渋滞しとるのである。迎えや送りの車で。この街に帰ってきた家族連れで。
戦争当事国の首都が普通のヨーロッパの都市に戻りつつある
思いおこせば3カ月前ここキーウ中央駅はこの街から脱出する市民がリビウやポーランドなどに向かう列車に殺到、そりゃあ皆命かかっとるのである。ロシア軍が北から、東から、西から包囲をせばめ、20キロ以内まで迫ってきていたのである。しかも相手は国際条約も人道も無視のロシア軍である。駅舎は悲鳴と怒号が飛び交い列車内はラッシュ時の山手線状態やったのである。
それが今や駅から宿まで1回もチェックポイント(検問)にあわんのである。いや、たしかにバリケードが築かれ、土嚢が積みあがった跡はあるが、人が詰めてる気配がない。それどころか、通りをクルマがバンバン走ってるのである。人がぞろぞろ歩いてるのである。オープンカフェがパラソルを開き、市民が集い、ウクライナ人の好物のコーヒーをすすり、談笑しとるのである。もうこれが戦争当事国の首都かいなと疑いたくなるほどである。