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空襲と米軍キャンプとハワイアンと

―― そのころは、米軍キャンプを回ってたんですか?

高木 日本中どこにでもあったからね。銀座なんか大変だよ。ちょっとしたクラブはみんな、米軍が接収してる。クラブには将校クラブ、下士官クラブ、兵隊さんのクラブがあって、音楽のジャンルも違うの。兵隊さんはやっぱりカントリー&ウエスタンなんですよ。下士官クラブになるとジャズっぽくなってきて、将校クラブにかろうじてハワイアンを聴きたがる人がいた。だから音楽での仕事には困らなかったですよ。僕らは一生バンドで食っていけると思ってた。

 

―― 高木さんには、アメリカへの憧れというのはあったんですか?

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高木 僕がハワイアンを始めたときは、特別な思いはなかったかな。だって、僕らはアメリカに爆撃されたんだよ。

―― 太平洋戦争が始まったとき、8歳ですよね。

高木 戦争は3年生から6年生まで。空襲のときは、でっかい爆撃機が低空を飛んでくるんだよ。昔の飛行機は装飾するために色を塗ってたけど、銀色のあのまんまだから。バカにされてるって思ったね。そこから、焼夷弾がバサバサ落ちてくる。焼夷弾っていうのは、筒の中にゼリー状の油脂が入ってて、落ちたときにポーンと周りに飛び散って引火するの。あっという間に燃え広がっていく。油だから水かけたって消えないんだよ。巣鴨の家が火事になったときは消そうとしたよ。でも、ドラム缶でもダメ、風呂場の水でもダメ、池の水でもダメ。それで逃げたんだから。悔しかったよ。

 

―― 高木さんの中では、いろんな思いがあるんじゃないですか?

高木 その国の音楽をやってるんだからね。でもね、日本っていう国は、アメリカが好きなの。戦前には、アメリカ映画の『駅馬車』とか、子供ながらに見に行ってたもんね。西部劇で拳銃をバーンってするのを見て、子供心にカッコいいなあって。兄貴もみんな好きだった。だから、戦争は軍人が始めたんであって、一般の人の思いは別なんだと思う。

やっぱりドリフは「バンド」なんだよな

―― 音楽はどんなものを聞いてましたか。

高木 家にゼンマイ式のポータブル・プレイヤーがあって、兄弟でジャズ聴いてたかな。あと、うちの兄貴はみんなボーイスカウトなの。カッコイイんだよね。僕もいずれ入るつもりだったけど、そのうちに戦争が始まっちゃった。

 

―― かなりモダンなご家庭だったんですね。

高木 ちょっと普通の家とは違うかもしれない。だから、僕が戦後すぐにハワイアンを好きになったのは、兄貴がウクレレをくれたからでもあるんだけど、やっぱり抵抗がなかったんだね。

―― ドリフに入ってからはコミックもされるようになりますが、元々お好きだったんですか?

高木 いや、そんなことはないです。もちろん、ドリフに誘われたときはコミックバンドすることになるなって覚悟はしてたけれど、一応はバンドマンとして引っ張られたんだよ。お笑いだけなら、楽器できなくてもいいじゃない。なのに、楽器できる僕みたいな人間を引っ張ってくれたというのは、やっぱりドリフは「バンド」なんだよなって思いますね。